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漫画名言の哲学18 冨樫義博の描く、予測不可能な未来

私は週刊少年ジャンプっ子だが、皆さんと同様、冨樫義博先生の作品にも深い感銘を受けている。特に『レベルE』は、SFとコメディの新たな可能性を切り開いた傑作だ。今回取り上げるセリフは、後に日本語に新たな表現をもたらすほどの影響力を持つことになる。


予測不能な存在への警句

ドグラ星王立護衛軍隊隊長のクラフトが、自身が守るべき王子について語った言葉。その表現の的確さは、やがて現代日本語の中に確固たる地位を築くことになる。

あいつの場合に限って常に最悪のケースを想定しろ
奴は必ずその少し斜め上を行く!

冨樫義博「レベルE」

クラフトは、自分たちの想像力を超越した存在としての王子を、このように表現した。最悪の事態を想定してもなお、その「少し斜め上」を行くという形容は、予測不能な存在の本質を見事に言い表している。


ファイヤアーベントの「なんでもあり」

これは科学哲学者ポール・ファイヤアーベントの「アナーキストの認識論」と響き合う視点を持つ。ファイヤアーベントは、固定化された科学的方法論を批判し、「何でもあり」(Anything goes)を提唱した。既存の科学的方法論は、その厳密さゆえに現実の複雑さを取りこぼしてしまう。むしろ、方法論の多様性こそが真理への近道だと、彼は主張したのだ。

バカ王子もまた、クラフトたちの「科学的」な予測を常に覆していく存在として描かれている。彼の行動は、単なる悪意や破壊衝動から生まれるものではない。それは、既存の思考パターンや予測モデルの限界を、からかうように暴露していく。我々の「科学的」な理解を超えた存在の可能性を、彼は体現しているのだ。


方法論と予測不可能性

「最悪のケース」を想定するという方法論は、ある意味で科学的な思考だ。起こりうる最悪の事態を予測し、それに備えることは、リスクマネジメントの基本である。しかし、その「少し斜め上」という表現には、既存の方法論では捉えきれない何かが存在することへの気づきが含まれている。

これはまさに、ファイヤアーベントが指摘した科学的方法論の限界を示唆している。彼は科学の進歩が、しばしば既存の方法論を破壊することによって達成されると論じた。バカ王子の予測不能な行動もまた、既存の理解の枠組みを破壊することで、新たな認識の地平を開いていく。


現代社会の予測不能性

現代社会において、科学技術の発展は我々の想像を「少し斜め上」に超えていく。AIの進化は、人間の予測を超えた発展を見せ始めている。気候変動は、科学的モデルの予測すら超える速度で進行している。我々は、予測不能性という現実に、否応なく直面させられているのだ。

そんな時代に、バカ王子の存在が示唆するものは大きい。彼は予測不能性を体現しながら、なお破滅的な結末を回避していく。それは恐怖であると同時に、新たな可能性の予感でもある。『レベルE』は、そんな予測不能な存在との共存のあり方を、コメディという形で問いかけているのだ。

荒唐無稽な設定の中に見え隠れする真理。それこそが冨樫作品の真骨頂である。​​​​​​​​​​​​​​​​

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