1分小説 言葉にならない
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「好きです」
部活帰りの夕暮れ、河原で先輩に告白された孝は、何も答えられなかった。
「返事は、今じゃなくていいよ」
それから一週間、孝は言葉を探していた。
好きなのか、嫌いなのか。
そんな単純なことさえ、うまく言えない。
気持ちは確かにあるのに、それを言葉にした途端、何か違う気がして。
「お前、最近変だぞ」
昼休み、親友の健一が野球のグローブを触りながら言う。
「なぁ、好きって、どういう気持ちなんだ?」
「は?」
「いや、その...好きの、反対は?」
「嫌いに決まってんだろ」
「じゃあ、その間には何もないのか?」
健一は素振りの途中で止まった。
「お前、真面目に悩んでんのか」
国語の時間、先生が黒板に「言葉」と書いた。
「私たちは言葉で世界を切り取っています」
孝はノートに「好き」と書く。
その横に「嫌い」
その間に無数の点を打っていく。
どの点も、胸の中のもやもやとは違う。
「考えすぎだって」
帰り道、健一が言う。
「でもよ」
素振りの音が、夕暮れに響く。
「俺も野球、好きって言葉じゃ、足りない気がする」
翌朝、先輩を待つ。
「私の気持ち...」
言葉にならないものは、確かにある。
でも、それは確かにそこにある。
河原の土手を見上げる。
夕陽が染める空も、揺れる草も、流れる風も、
全部が何かを語ろうとしている。
「うまく、言えないんです」
孝は静かに言った。
「でも...」
先輩は、ただ微笑んで頷いた。
二人の間で、言葉にならないものが、
静かに流れていた。