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カールマルクスが渋谷に転生した件 34 堅木、パワハラに憤慨する(前)
堅木、疑問に思う
「このデータ、おかしいですよね」
Das Kapital TV編集部として使われる離れで、堅木京子がモニターを指差す。画面には都知事選当時の世論調査データが並んでいる。
「確かに」マルクスが髭をいじりながら覗き込む。「この急激な変動は不自然だ」
「AIによる予測モデルです」
堅木は淡々と説明を始める。
「SNSの反応、地域ごとの投票傾向、過去の選挙データ...これらを組み合わせることで、世論の動きを予測し、さらには...」
彼女は一瞬言葉を詰まらせ、それから慎重に続ける。
「...操作することも可能になります」
「なんと!」マルクスの髭が逆立つ。
「これが現代の選挙戦です」
堅木は画面を切り替える。
「データサイエンスとアルゴリズムが、民意を形作る時代」
「でも」さくらが静かに問いかける。「なぜ、そんなことを...」
堅木の手がキーボードの上で一瞬止まる。
「それは...長い話になります」
「私がデータ分析を始めたのは、学生時代でした」
堅木は画面から目を離し、窓の外を見やる。
「当時、ビッグデータが社会を変えると言われていて...」
「社会を変える...?」マルクスが身を乗り出す。
「ええ。貧困の予測と対策、災害時の最適な支援ルート、教育格差の是正...」
彼女の声が少し熱を帯びる。
「データさえあれば、社会の歪みを見つけ出し、より良い政策を提案できる。そう信じていました」
「それが政治の世界に?」さくらが問いかける。
「シンクタンクに入社して、すぐに声がかかったんです」
堅木は再びモニターに向かい、新しいグラフを表示する。
「選挙区ごとの投票傾向、SNSの反応、経済指標...これらを組み合わせることで、私たちは『民意』を可視化できる。そう考えていました」
彼女のタイピングの音が、静かな部屋に響く。
「でも、次第に気づいたんです。これは可視化ではない。私たちは『民意』を作り出していた」
「具体的な例をお見せしましょう」
堅木が新しいウィンドウを開く。
「これが都知事選中の、ある地域のSNSの反応データです。環境政策に関する投稿が増えると...」
彼女がグラフを動かす。
「私たちのアルゴリズムが、関連する広告を該当地域に集中的に配信する。すると、さらに投稿が増える」
「まるで」マルクスが髭をいじる。「人々の関心を、意図的に増幅しているようだな」
「その通りです。でも、それだけではありません」
堅木は別のデータセットを表示する。
「投稿の内容を分析し、どんな言葉が共感を呼ぶか、どんなフレーズが反発を生むか。それを基に、候補者のスピーチまで最適化していく」
「なんと!」マルクスが立ち上がりかける。「それでは民主主義の根幹が...」
「ええ」堅木の声が冷たくなる。「私たちは『民意』という商品を作り出していたんです」
さくらが静かに口を開く。
「物神性...ですね」
堅木が驚いて振り返る。
「商品が、あたかも自然な性質を持つかのように見える」さくらが続ける。「でも実際は、社会的に作られたもの。データで作り出された『民意』も、同じではないですか?」
「鋭い指摘です」
堅木の表情が少し和らぐ。
「現代の物神性は、データという姿を取って現れる。そして、それを操るのがプラットフォームを持つ者たち」
堅木が言い切る。
堅木、正しいことを言う
「ちょっと待ってください」
木下が部屋の隅から声を上げる。
「じゃあ、例えばX社のマスク氏が、気に入らない候補の投稿の表示を減らしたり...」
「あるいは特定の候補に有利なトレンドを作り出したり」
堅木が頷く。
「技術的には可能です。実際、都知事選でも、特定のハッシュタグの表示順位が不自然に変動するケースが...」
「なんと!」マルクスの髭が激しく震える。「それでは民主主義そのものが、プラットフォーム企業に支配されているということか!」
「ただし」堅木が指を立てる。「そう単純でもありません」
彼女は新しいグラフを表示する。
「確かにプラットフォームには大きな力がある。でも、データの解釈と活用には、専門的な知識と戦略が必要です。例えば...」
画面には複雑な数式とグラフが並ぶ。
「投稿の表示順位を操作しても、そこに響くメッセージがなければ意味がない。逆に言えば...」
「なるほど」マルクスが髭をいじる。「プラットフォームは道具に過ぎず、それを使いこなす人間の意図が...」
「その通りです」堅木の声が力強くなる。「しかも、私は選挙戦を通じて、もう一つ重要なことに気がつきました」
「それは?」さくらが身を乗り出す。
「データは、権力者の弱点も映し出すんです」
堅木がタイプを始める。
「例えば、中池知事の『DXによるデジタルトランスフォーメーション化』というスローガン。SNSでは『意味不明』『トートロジー』と批判が殺到した。にもかかわらず、彼は同じフレーズを繰り返し...」
堅木は一瞬、言葉を切る。何か言いかけて、それを飲み込むような仕草。
「その...具体的な話は、また別の機会に」
彼女は慌てて画面を切り替える。
「重要なのは、このデータ分析の技術を、民主主義のために使えるということです」