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M-1グランプリ 感想 - 漫才における知的批評の可能性

まず断っておきたい。私はお笑いの素人である。漫才のネタ構成や技術的な部分について語る資格はない。
ただし、漫才ネタを投稿する程度には、お笑いは大好きだ。

そして、今回のM-1グランプリには、私の琴線に触れるネタが数多くあった。


令和ロマン

優勝した令和ロマンの決勝ネタには、文字通り腹を抱えて笑った。異世界転生というモチーフをあそこまで昇華できるとは。私も「マルクスの転生」を書いているが、まだまだ精進が足りないと痛感させられた。笑いの質が違う。

しかし、私にとって特に印象的だったのは、以下の三組である。

ヤーレンズ 

まず、ヤーレンズ。
まさかM-1の舞台でチェ・ゲバラの名前が飛び出すとは。もちろん革命家として有名な人物ではあるが、お笑いのネタとして取り上げる勇気には脱帽である。
私は「西成のゲバラ」を書いているが、むしろ私の方が及び腰だったかもしれない。ゲバラを笑いに昇華する技量に、ある種の感動すら覚えた。

真空ジェシカ

次に真空ジェシカ。
政治ネタをM-1の舞台で披露する。これがどれほど難しいことか。社会批評を笑いへと昇華する技術は、まさに芸術の域である。単なる風刺ではなく、笑いを通じて本質的な問題提起を行う—これぞ漫才の真骨頂ではないか。

バッテリィズ

そしてバッテリィズ。
名言紹介を軸にしたネタ展開で、なんとソクラテスまで登場させる。一見、ただの「馬鹿キャラ」に見えるボケだが、実は非常に本質的な問いを投げかけていた。「無知の知」ならぬ「ボケの知」とでも呼ぶべきか。

まとめ

その他、ジョックロック、エバーズなども含め、今年のM-1には知的な社会批評を内包するネタが多かった。しかも、それらは決して堅苦しくない。むしろ、笑いの本質である「くすぐり」としての機能を十分に果たしている。

特筆すべきは、これらの漫才が「面白さ」を第一に追求しながら、その中に鋭い視点を織り込んでいる点だ。ともすれば説教くさくなりがちな社会批評を、純粋な笑いへと昇華する手腕は見事としか言いようがない。

漫才の新しい可能性を感じさせる2024年のM-1グランプリ。エンターテインメントとしての「笑い」と、知的な「批評性」の融合。その未来は確かに明るい。


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