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漫画名言の哲学13 『ボーボボ』とカオスの哲学

週刊少年ジャンプといえば、「努力・友情・勝利」の王道ストーリーを思い浮かべる人が多いだろう。だが、その歴史は同時に、既存の枠組みを打ち破る革新の歴史でもある。ギャグ漫画においても、秋本治の『こちら葛飾区亀有公園前派出所』から、「ジャンプらしくない」とされた富樫義博の『レベルE』まで、常に新たな地平を切り開いてきた。


ボボボーボ・ボーボボ

そんな中でも、『ボボボーボ・ボーボボ』は特別な存在だった。毛狩り隊と戦う鼻毛の戦士という時点で型破りだが、それ以上に衝撃的だったのは、マンガ表現の文法そのものを解体してしまうその手法だ。「ハジケ」という言葉で表現されるその世界観は、哲学者ドゥルーズの言う「リゾーム的思考」を彷彿とさせる。

その代表的な例が、伝説の人気投票だ。全順位をボーボボが独占する中、5位のボーボボが発したこの言葉は、カオスの中に生まれる新たな意味の誕生を告げていた。

くっ ボーボボに負けた...

澤井啓夫著「ボボボーボ・ボーボボ」


ボボボーボ・ボーボボをリゾームで紐解く

『千のプラトー』でドゥルーズとガタリは、樹木的な階層構造に対して、リゾーム(地下茎)的な構造を提示した。中心も終わりもなく、あらゆる点が他の点と接続可能な構造。『ボーボボ』の世界観は、まさにこのリゾームそのものだ。キャラクターは固定された同一性を持たず、絶えず変容し、接続し、増殖する。

この観点から見ると、「ハジケ」という概念は、単なる狂気や無秩序ではない。ドゥルーズ的に言えば、それは既存の意味の体系を揺るがし、新たな意味の可能性を開く「創造的な力」なのだ。
人気投票において、全順位をボーボボが占めるという状況は、一見すると意味の崩壊のように見える。しかし、その中で「くっ ボーボボに負けた...」と発することは、むしろ新たな意味の次元を切り開く行為となる。


ボボボーボ・ボーボボから我々が学ぶものとは

現代社会では、意味や価値は固定的なものとして扱われがちだ。SNSでの「いいね」数や、マーケティング的な成功指標など、私たちは常に数値化可能な評価軸に囚われている。『ボーボボ』は、そうした固定的な価値体系そのものを「ハジケ」させることで、新たな自由の可能性を示唆する。

ドゥルーズが示したように、カオスの中にこそ、新たな創造の可能性が宿る。時には私たちも、既存の価値観から「ハジケ」てみる必要があるのかもしれない。それは必ずしも破壊的な行為である必要はない。むしろ、固定観念から解放されることで、より豊かな意味の世界が開かれるのだ。『ボボボーボ・ボーボボ』は、その可能性を教えてくれる稀有な作品なのである。


ボボボーボ・ボーボボのあとがき

私もある種のカオスに飲まれていたのかもしれない。ドゥルーズを持ち出してボーボボを論じるとは。冷静に考えれば、これはいくらなんでも行き過ぎだった。読者の皆さんも「お前もハジケすぎだ」と思われたことだろう。

そもそも「ハジケ」を存在論的に分析すること自体、すでに道を踏み外している。だが、少年ジャンプへの愛がここまで暴走した結果がこれだ。次回からはもう少し真っ当な作品を選ぶべきだろう。

...などと反省しつつも、どこかで「これはこれでいいのでは?」という声が聞こえる。私の中の理性と「ハジケ」が、今も戦い続けているのだ。


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