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カールマルクスが渋谷に転生した件 19 マルクス、アイドルにハマる(後半)

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マルクス、ブチギレる

廊下で泣いているのは、研修生の一人だった。17歳の少女が、制服の袖で涙を拭っている。

「どうした?」マルクスが近寄る。

「私...研修を...」
少女の声が途切れる。

「経営判断です」後ろから冬川の声。「才能ある子を見極めるのも、私たちの仕事ですから」

「2年間...毎日必死に練習して...」少女が呟く。「私の才能が...足りなかっただけです」

マルクスの髭が震える。
「2年間のレッスン料は?」

「親にも頼れなくて…借金が残ってます」少女が俯く。「でも、それは私の...責任です」

「責任?」

「目標に届かなかった私が、悪いんです。努力が足らなかったから」

冬川がため息をつく。
「このビジネスは時に冷徹にならざるを得ない。これも成長の過程というか」

「先生」少女が深く頭を下げる。「今までありがとうございました」

マルクスは言葉を失う。少女の背中が、廊下の向こうに消えていく。

「さて」冬川が明るく話題を変える。「新曲『アイドル共産党☆宣言』の歌詞チェックを」

その瞬間、マルクスの中で何かが断ち切れた。

「待て」マルクスが低い声で呟く。

「何か?」冬川が振り返る。

「君は...実に巧妙だ」マルクスの髭が震え始める。

「ご冗談を」

「いや、私は今まで見抜けなかった」マルクスが立ち上がる。
「なぜあれほどの大人数が必要なのか。なぜ研修生という名の無給労働が当然とされるのか。なぜ少女たちがレッスン料を支払い続けるのか」

「それは彼女たちの夢のため...」

「夢だと?」マルクスの声が徐々に大きくなる。「君は夢という麻薬で少女たちを眠らせ、その間に搾取を...しかも、それを、まるで自己責任のように…」

「マルクスさん、声が」さくらが制する。
周囲の研修生たちが、不安そうに見つめている、

「すまない」マルクスが深いため息。「しかし、これは現代の搾取の最たるものだ。労働者が搾取に気付かないどころか、搾取者に感謝までしている」

「そこまで言われる筋合いは」冬川の声が冷たくなる。
「私は彼女たちに夢を与えている。チャンスを提供している。それを搾取とは」

「ふむ」マルクスが冷笑する。「では聞こう。なぜ君は47人という大人数にこだわる?」

「それは...」

「答えよう。商品は大量生産で原価を抑え、大量消費で利益を上げる。アイドルという商品も同じだ。何人かの売れっ子と大勢の控えを抱えることで、常に新しい商品を...」

「失礼です!」レッスン場から少女の声。「私たちは商品じゃありません!」

「そうだ!」「私たちには夢が!」次々と声が上がる。

「見たまえ」冬川が余裕の表情。「彼女たちの純粋な想いを」

「いや」マルクスが静かに。「その純粋さこそが、搾取を不可視にしている。彼女たちは自らの置かれた状況に気付かないまま、借金を重ね、夢という名の...」

「違います!」別の研修生が前に出る。「東郷平45のミユキさんを見てください!去年まで研修生だった彼女が、今や紅白にソロで...」

「そう!」「私たちにもその可能性が!」「努力すれば、きっと...」

「47分の1のチャンス」マルクスが言葉を重ねる。「しかもそれすら、大量のアイドル予備軍を加えれば、ごく僅かな可能性だ」


マルクス、アイドルにハマる

「もういい!」冬川が立ち上がる。「マルクス先生、このプロジェクトは打ち切りです」

「そうか」マルクスの口元に、皮肉な笑みが。「結局、私の理論は君の商売の邪魔でしかなかったか」

「帰りましょう」ケンジが促す。

事務所を後にする一行。

「でも」さくらが不安そうに呟く。「あの子たちは...」

「ああ」マルクスが重々しく頷く。「これは簡単には解決できん。現代の搾取は、こうして見えない鎖で人々を縛り付けている」

その時、後ろから駆け寄る足音。

「マルクスさん!」
先ほどの17歳の少女だった。まだ目は赤いが、表情は凛としている。

「もし...私が新しい道を探すなら」少女が真っ直ぐにマルクスを見上げる。「Das Kapital TVで、この経験を話してもいいですか?」

「おお」マルクスの髭が驚きで揺れる。「君は...」

「私、大学に進学して経済学を勉強しようと思って」少女の声が強くなる。「今まで気付かなかったこと、いっぱいあるんです」

マルクスが少女の肩に手を置く。
「ああ、いつでも来たまえ」

レッスン場からは、相変わらず少女たちの明るい声が響いている。しかし、いつか彼女たちの目も覚めるだろう。そして、新しい道を探し始める。

「参ったな」ケンジがため息。「アイドルって、こんな構造だったんですね。でも、あの子みたいに気づく人が出てくるんだ」

「さて」マルクスの髭が決意に震える。「Das Kapital TV、次回のテーマは決まったようだ。あの子の今後も、我々で応援してあげようではないか」

「マルクスさん」さくらがニヤニヤと笑う。
「推しが出来たじゃないですか」

春の風が、古い体制の埃を少しずつ払い始めていた。

続く


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