親の介護はしたくないんです
親の介護はしたくない…そう思う人は少なくないです。
理由は、プレッシャーだったり介護の抵抗感だったり、時間的仕事の問題などあるかと思います。
今日はその中でも、親との関係が良くないから介護はしたくない!といった方へのnoteです。
例えば、こどもの頃から虐待を受けていたり、きょうだい間で比べられ、ののしられていたりしたなど。
または親自身が要介護になった途端、こちらの意見を聞くことなく「親の介護は子が引き受けて当然」のように圧力をかけられるなども、難しくなる原因の一つであると思っています。
親の介護は義務なのか
そもそも親の介護は義務なのでしょうか。そして、義務はどこまでなのか。すべてを担う必要があるのか。
実は民法でこのように定められています。
民法877条第1項「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」
直系血族とは祖父母や父母、子どもや孫などです。
余談ですが、子供の配偶者である嫁・姑などの関係性の場合は扶養義務はありません(世の奥さまたち、安心して)!
そして義務の内容としては、①身の上の面倒を見る扶養義務②経済的な支援をする扶養義務の2つあるんですが、原則的に②経済的な支援を行えばよいそうです。
じゃあ、身を粉にして働く必要があるの?と不安になる方もいるかもしれません。
経済的に余裕がないと裁判所から判断されれば、扶養義務は強制されません。経済的に余裕があるかの判断基準は、生活保護制度の扶助の必要性を判断する「生活扶助基準額」が用いられることが一般的。
これは家族構成や地域によって基準額が決められます。
つまり、お金がなく介護が難しい場合は、無理に介護をする必要がありません。安心してくださいね。
介護を放棄した場合は
では扶養義務があるのに、親の介護を放棄した場合はどうなるのかというと、保護責任者遺棄罪に該当し3カ月以上5年以下の懲役に科される可能性があります。
放棄したことにより、要介護者が亡くなったりけがをしたりした場合は、さらに重い罪になることも。現実を知ると、少し重い空気になってしまいますが、これら知識も知っておいてほしくて書いています。
倫理観とのたたかい
ここからは心情の話になるかな。
倫理的な期待と現実の介護の負担との間には、大きなギャップがあることが多く、介護者のストレスや葛藤の原因の一つになります。
この観点からは、親を介護することは社会的に期待される行為で、多くの人が道徳的な義務感を感じています。無意識に。
地域で昔から刷り込まれてきたことなんかもあるかもしれない。
私が結婚して夫の地区に挨拶に行ったとき「介護職なのね、父母は将来安泰だわね」と言われて違和感しかありませんでした。
私の倫理観にはないことだったから。
しかし、そこで育った家族はそれが当たり前だと思っている。
こういう食い違いに悩む子世代も多くいます。
長男だから、これまで世話になったんだから…なども同じ。
ここもバランスを取っていかなきゃならない。
じゃあ、どうバランスをとっていこうか。
いくつか考えられることがあると思います。
・自分を知る:自分を知ることで、自分の大切にしたいことと無理なこと(限界値)がわかり、自分を壊すことがなくなる。
・介護サービスの知識をつける:知識がないと誰かに助けを求めることができません。自分がやりたくないからこそ、確実に知っておく。
・家族・周囲の人・友人の協力を仰ぐ:一人で抱えて何もいいことはない。
・専門家に頼る:周囲に頼りつつ、専門家のアドバイスも聞いてみる。
親の介護はしたくない、という気持ちはそのままに。
その気持ちは大切にしたまま、どのように介護と向き合っていくか一緒に考えてみませんか?