血友病vs川崎病vsダークライ 6日目
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この日はぱちりと目が覚めた。暑いのか、布団を全て蹴っ飛ばし、何もかけずに眠っているわたことまめこ。3月に入ったし、そろそろモコモコのパジャマはやめた方がいいかなと考えたりした。
台所に行ってお弁当を作ろうと思ったら、「タンドリーチキン漬けてあるよ〜」と脱衣所から声がした。タンドリーチキン?ってどんなだっけ。カレー粉とか使うやつだっけ。
冷蔵庫の中には、私のお弁当のために、旦那さんに謎の下味をつけられもう焼くだけの状態になった鶏肉があった。「ヨーグルトがなかったからヨーグルト抜きの味付けだけど」と旦那さんは言った。そもそもヨーグルトを使うものなのか、タンドリーチキン。というかなんで急にタンドリーチキン?タンドリーチキンなんて作ってもらったことあったっけ。やばい、タンドリーチキンがゲシュタルト崩壊してきた。
ともかく、ありがたく鶏肉を焼いて、弁当箱のご飯の上にのせた。付け合せに、庭のプランターで取れた黄色人参とキュウリを細切りにして、塩でもんでからごま油と醤油で和えたもの、も入れた(ナムルとも名付けがたい簡素な創作料理である)。プチトマトも入れた。昨日の詰めただけ牛丼弁当よりは、彩りもよく、大分お弁当らしくなった。
土曜日の朝は道が空いていて、いつもより20分も早く到着できた。たんたは眠っていたので、この闘病(看病)記録をまとめるなどして起きるのを待った。
目を覚ましたたんたは至極ご機嫌である。難しいお年頃の子どもたちが多い病棟の中で、看護師さんたちのアイドルになりつつある。バイタルチェックも全く問題なかった。
そして、入院中にもたんたはしっかりと成長していた。気づいたら、右手と左手をくっつけてもみもみする動作が多くなってきていた。
乳児には、「自分の手を発見する」という面白い時期がある。こぶしをじっと眺めることから始まり、舐めたり、グーパーしたりして、指の感覚を確かめ、自由に動かす準備をするのだ。「なんかよくみかけるけど、これはなんだろう?あ、うごいた。なめるとあったかいなあ」。やがて手を手として使いこなすことに繋がる大切な仕草なのである。
この日のたんたは、オーボールというシャカシャカ音が鳴る網目状のボールを握って振り回していた。運良く口に運べることもあり、ちょっと舐めてみるだけで大興奮していた。
体をひねるような動きも日に日に大きくなっている。これは、多くの親が楽しみにしている「寝返り」に繋がる動作だが、実は病院でできるようになってしまうと結構頭の痛いことになる。
寝返りを獲得したばかりの乳幼児は、「寝返り返り」と呼ばれる、仰向けに戻る動作ができない場合が多い。周囲の大人が気づかないうちにうつ伏せのまま眠ってしまうと、窒息や新生児突然死症候群(SIDS)のリスクが上がってしまう。
新生児突然死症候群
SIDSの原因は不明(というか、SIDS=原因不明の乳児の突然死であり、原因が明らかな場合はSIDSとは呼ばない)だが、うつぶせ寝はそのリスク要因として最も危険なものだとされている。よって、寝返りができるようになった場合、病院では「身体抑制」といって、ベッドに結ばれたベストでやんわり括り付けられてしまうのだ。ちなみに、点滴のポートを保護していた板も腕を動かせないようにする抑制のひとつである。
布のようなもので動きを制限されている、という点では抱っこ紐の方が自由度が少ないくらいだが、ともかく見ていて気持ちのいいものではない。病院側としても、最低限で済むように配慮してくださっており、できれば寝返りは家に帰ってからできるようになってほしいなと、勝手な親は考えていた。
お風呂が混んでいて午後になると言われ、早めに休憩に入った。保育園の諸費やピアノの月謝など、月頭に必要なお金のあれこれを済ませてから、病棟のラウンジに戻ってお昼ご飯を食べることにした。
やはり、少しでも彩りに気を配ったお弁当は、開けた時にテンションが上がる。件のタンドリーチキンはというと、冷めても柔らかく美味しく、電子レンジのない環境でのお弁当として最高のおかずだった。旦那さんは、間が悪いところはあるが、急な思いつきは上手くいくことが多い。
病室に戻り、楽しい楽しいお風呂の時間。普段過ごしている環境より気温が高いせいか、ちょっと前に落ち着いていたはずの乳児湿疹が顔に出てきてしまっていたので、丁寧に洗ってあげよう、と思っていた。
しかし、恐れていた右腕の異変が始まった。腱鞘炎というよりは筋肉痛といった感じの痛みが強く、たんたをお湯に浮かべた時点で、「20秒も支えられないぞ」と悟った。左利きなので、基本的には右手で頭(首)を支え、左手で洗ったり流したりをしているが、今日は途中で手を交換しないと洗いきることができなさそうだ。
そんなこととは知らないたんたは、すぐに激しくお湯や浴槽の壁を蹴って遊び始めた。沈まないようにと必死に支える腕が震える。こんなことであと一週間もつのだろうか。早急に何らかのケアが必要に思われた。
お風呂の後で、看護師さんから夜間のミルクについて相談を受けた。記録をみると、起きても100mlも飲まないで眠ってしまうことが多いらしい。
恥ずかしながら、3人とも完全母乳できてしまったため、私は月齢に合わせたミルクの回数や量に関しては全く把握できていなかった。消化不良を避けるため、一定の間隔をあけなければならなかったり、与えすぎてはいけなかったりと、母乳よりも制限が多いことは何となく知っていた。Google先生に訊いてみると、3-4ヶ月のミルクの適量は160-200mlらしい。搾乳1回分も大体それくらいとれるので、よくできているなあと思った。ただ、間隔は4時間ごととあり、母乳ではそこまでもたないことも多いように感じた。
夜にあまり飲まないのは、家でも似たようなもので、その分昼にしっかり飲んでいるように思う。9時から5時まで寝っぱなしの日も現れ、むしろ喜んでいたところだ。身長体重の増え方からいっても、夜飲まないことはそんなに気にしなくてもいいのになあと思うのだが、医師の指示で一回量が決まっている限り、看護師さん的にはそうもいかないらしい。
しかし、よくよく話を聞いてみると、看護師さんが気にしているのはたんたが飲まないことではなく、母乳の解凍についてだった。衛生上の問題で、母乳は一度温めてしまうと再冷凍することができない。医師の指示通り200ml一気に溶かすと、飲めなかった分は捨てるしかなくなってしまうのだ。それがあまりに勿体ないので、どうしましょう?ということだった。
話し合いの結果、看護師さんの提案により母乳の解凍は100mlずつで、足りない分はミルクを足していただくことになった。ありがたいことだが、めちゃくちゃ手間じゃないか?きっと哺乳瓶も2セットずつ使うことになるし、どちらも適温で提供するのは気を遣いそうだ。
昼間、病棟を散歩したときに眺めた掲示板の張り紙の中に、看護師さん1人あたりの受け持ち人数が示されたものがあった。ただでさえ「こんなに!」と思える人数だったが、夜勤では日勤より更に2人多かった。余計な仕事は増やしたくないなあと思った。
夕方、わたこのピアノの先生から、レッスンの動画が送られてきた。わたこは、なんと「ハッピーバースデー」を練習していた。先週から新しいテキストになり、めくるうちに自分で見つけて、まめこの誕生日に弾きたいからとお願いしたらしい。家でも、私が書きおこした楽譜で何度か練習している曲だった。
わたこの中で育ってきた自主性にも、「やりたい」を逃さない先生の臨機応変な対応にも、拍手を送りたい気持ちだった。
実はたんたもピアノの音が好きなようで、私が弾いたりわたこが練習したりしているとよく腕や足をバタバタさせて喜んでいた。音が止むともごもごと文句を言うほどだった。病室にキーボードを持ち込んだら流石に怒られそうだな。早く帰りたい気持ちが強くなった。
たんたが寝付くのを見守り、今日は夕飯に間に合いそうかなと思っていたら、「デニーズでキッズメニュー50円キャンペーンしているので食べてきます!」とのこと。中々タイミングが合わず残念だが、50円なら仕方ない。1人で幸楽苑の野菜タンメンとギョーザを食べて帰った。
夜、布団に入ってすぐに旦那さんとまめこは寝息を立て始めていたが、わたこは「あしたはまめちゃんのおたんじょうびだねぇ」とにやにやしていた。そこで、まめこが生まれた時のことを少しだけ話した。
当時1歳のわたこが寝付いた後の夜中に陣痛がきて、近くに住む私の妹にヘルプを頼んで旦那さんと病院に向かったこと。夜中に1度目を覚ましたわたこは、パパママの不在に大泣きして、狭いアパートの部屋の中をぐるぐると探し続けていたこと。再び眠っておきたときには、何もなかったかのように妹の出したご飯を食べたこと。その頃、まめこがようやく生まれてきたこと。
わたこが名実ともにお姉ちゃんになった朝。
1歳の頃の自分を様子をケラケラ笑いながら聞いていたわたこは、最後に「たーくんにあいたいなあ」と言った。我が家では、変な役割の押しつけが生まれないように「姉」「妹」という表現は意識してあまり使わないようにしている。それでもやはり、「お姉ちゃん」は「お姉ちゃん」になっていくものなのだな。
明日はたくさんお祝いしようね、と約束して眠りについた。
7日目へ続く