血友病vs川崎病vsダークライ 前日譚

血友病A(重症)の患者である3ヶ月の乳児・たんたが川崎病と診断されてからの闘病生活について書いていきます。
ただの日記ですので、症状や治療法とはなんの関係もないどうでもいい話も沢山でてきます。読んでくださる方はご了承の上、進まれてください。

※このシリーズは川崎病の闘病についてがメインで、血友病については後ほどお薬をやや変えなきゃいけなくなったあたりで説明する予定です、たぶん、おそらく、もしかしたら。
気になる方はぜひ調べてみてください。

※ダークライは出てきません。



我が家の3ヶ月児が熱を出したのは、お食い初めの前日だった。
私は、お食い初めの会場である祖母(この物語の主人公である彼、たんたにとっては曾祖母)の家に行く荷物をまとめていた。5歳の姉わたこと3歳の妹まめこもそれに倣い、それぞれのリュックにお気に入りのおもちゃなどを詰め込んでいた。旦那さんは同僚の結婚式に出席するため、翌日合流になっていた。
一通り準備を終えてたんたをみやると、眠ってもいないのに上を向いてぼーっとしていた。

やたら静かだな。

気になったので体温を測ると37.4°Cで、乳児の基準でいえはギリギリ平熱。
2月の雨の日だったので、温かくしようと着せすぎていたのかも、とあまり気にせず、そのまま全員をチャイルドシートに括り付けて出発した。


その日の夕方、長めの昼寝が明けてからのたんたは明らかに不機嫌で、熱かった。39.1°C
しまったー!まだ3ヶ月だからと母乳免疫を過信した。これは先週のまめこの風邪がうつったな?
かかりつけの先生にはなるべく部屋を分けるように言われていたものの、インフル・コロナは陰性判定がでていたし、寝かしつけ等が不便で結局みんな同じ部屋にいた。ああ。先生、ごめんなさい。
生憎祝日で小児科はお休み。母乳はちびちび飲めているし、熱以外の目立った症状もないので、翌日の午前に予約を入れた。
長い夜だった。熱にうなされたたんたは1時間〜1時間半おきに覚醒する。母乳を吸う力も昼間より弱々しい。同じ家の中に母と祖母が居てくれたので、いざとなればすぐ動けるな、と感じられたのが救いだった。



翌朝、熱は38°C台。明るいところでオムツ替えをしたら、足やお腹に赤い発疹を発見。おやおや…?
看護師の資格を有する母上に見せてみる。
「ぶつぶつがお水もってないから、水疱瘡とかではない感じだけど。発疹は、何かウイルスが原因の時もあるし、高熱から(二次的に)出ることもあるからこれだけじゃ分からない。突発(性発疹)かねぇ」
経験上、母の説明は素人にもめちゃくちゃ分かりやすい上に医者に行くと大体同じことを言われる。

とりあえずわたまめをおばあちゃんずに預けて、予約したかかりつけへ。ご時世なので、まず容赦なく鼻の奥の粘膜をこする検査をされ、ふがふがあえぐたんた。ここでお姉ちゃんたちなら大泣きなのだが、たんたは大きく声を出すほどの気力体力がない様子で、むすーっとするばかり。心配になってきた。
無事、インフルとコロナの陰性がでたので診察へ。お世話になっている先生は、コウノドリでいうところの四宮先生のような、クールで端的で、ちょっとすると無愛想だけれども、的確で間違いない診療をする、という感じの方。経緯を説明すると、やはり「突発かな」と呟きながら発疹を確認していく先生、しかし服を脱がせるなり「あ、違いますね」。ええっ。
「熱が下がりきってないのにこうは出ないし、ちょっと違う」
「今は何って言えないけど熱が5日続いたらおかしいので…いや、(生後)3ヶ月か。明後日もう一度みせにきて下さい」
「念の為熱冷ましを出しておきますが、ぐったりしていなければ飲ませなくてもいいです」

1番「これかな」と思っていた病の名前をあっさり否定され、不安の芽がにょきにょき生えてくる。先生は「お大事に」と言い残して次の患者さんを呼んでしまった。もう少し何か言いたい気もしたが、診察待ちの患者さんも多く、落ち着いて考えたらそれ以上聞きたいこともなかった。ただ不安なだけだ。話なら家族に聞いてもらおうと、大人しく薬局に寄って帰った(薬局のスタッフさんは先生と対照的にかなり親身に笑顔でお話してくれるので心が和んだ)。




母娘4世代の昼食に、マクドナルドをドライブスルーして帰った。授乳が5時間近く空いてしまったので、「お待たせ〜」とおっぱいを差し出すも、「待ってません」とばかりにスルー。おっぱいスルー。やかましいわ。
おいおい〜、先生に水分は取れてますって言っちゃったばっかりだよ、どうすんだよォ。

昼食後、午前中いい子でお留守番ができたわたこが、ゲームセンターに行きたい!と始まった。連れて行ってやりたいのは山々だが、たんたを連れ出すわけにはいかず、母乳製造機が側を離れるわけにもいかず、ここでもおばあちゃんずの出番となった。ストッパーとなる私がいない状態で、ショッピングモールでさぞや豪遊を……と思いきや、母がしっかりセーブしてくれたらしい。ひいおばあちゃんだけだと際限なく使わせてくれるところだった。危ない危ない。

一方その頃、祖母の家に旦那氏が合流してくれたので、ほっとした私は夜間の寝不足により泥のように眠った。


そんなこんなで、たんたの容態はあまり変化しないまま、あっという間に夜になった。赤飯も鯛も蛤も、もう買ってしまってあったので、たんたには申し訳ないがお食い初めは決行。水分不足も深刻に思えたので、熱冷ましでドーピングし、押し付けがましく授乳をしてからお祝いといったふうになってしまった。その横で、わたこは手巻き寿司をネタ全部盛りにして無理やり巻き、まめこは尾頭付きの鯛の塩焼きを自分のもののように堪能していた。笑ってしまうが、こういう無邪気さに救われる部分は大きかった。



結局たんたは、この熱冷ましを使った1回を除き、翌日の昼頃まで母乳をほとんど飲まなかった。熱が高くて汗も涙も出ているのに、喉が痛いのか、消化器官がうまく働いていないのか、原因も分からなければ解決策もない。親としてはこの時間が1番辛かった。

3日目は、朝から39℃でも、もはや熱のある状態に慣れてきたのかやや機嫌がよかった。3ヶ月前後の乳児が見せる最高の仕草のひとつ、「微笑がえし」が戻ってきて喜んだのもつかの間、はっきり起きている時間が増えて生じた違和感。泣いてもいないのに、白目の部分がひどく充血している。よく見ると普段より唇も赤い気がする。
午後には38℃台になり、僅か1℃の差でも見違えるほど母乳を飲むようになった。このままよくなりますようにと祈りつつ、姉ふたりのときには見たことがないような、普通の風邪では無いいくつかの症状に、どこか胸騒ぎを隠せないのであった。 



本編(1日目)へ続く

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