凡人が「耳をすませば」、コンクリートロードが聞こえる
最近、noteで音楽のユーチューブ動画を、二本ほど簡単なコメント付けてアップしました。
選んだのは、所謂、ワールドミュージックってやつ?
アテクシ、若い頃はブルースに嵌りかけてブルーズギターとかやりかけた事もあるんだけど、爪の形とか細長くて先が尖ってるし、指も細すぎて弦が押さえきれなくて諦めました。
この手、今のお仕事では逆に、見かけ上も機能上(?)もアドバンテージが高いんですけどね。
まあ、そのせいってわけでもないんでしょうが、そこから先、音楽にのめり込むって事がなくなったみたいです。
ですから、音楽に対してはマニアックな部分はまったくなく、この方面の知識はほぼ0です。
だから雑食です。何かの機会に耳に飛び込んで来て「ああこれいいなぁ」って思ったら、それこそなんでもOKです。
そんなアタクシからすると、もし「在日日本人のテーマソング」を決めるとするなら、今の所、これかなぁという曲が、EGO-WRAPPIN'の「異邦人」ですね。
在日を生きる日本人は、この国において異邦人であるけれど、EGO-WRAPPIN'のボーカルのように、意外とタフなんですよ。・・ってかタフじゃなけりゃ息も出来ない。
・・・EGO-WRAPPIN'の中納良恵ちゃんだとか、先に紹介したジャンマ・ウーメットとか、サラ・タヴァレスとか、凄い才能の持ち主ですよね。
そうそう、「才能」といえば、最近遅ればせながら「耳をすませば」を見たんですけど、あれってサブテーマは「才能と夢」なんじゃないかなって思いました。
青春恋愛部分は「エエ加減にせいやっ、感傷的な夢見るオッチャン目線過ぎるやろ」て感じでしたけど、数百メートルに渡る人生絵巻のほんの先っちょのまだ汚れてない綺麗な部分だけを切り取って広げてみせるという、その鮮やかな手法に免じて許しますよ(笑)。いかにもジブリらしい。
主人公達の年齢設定だって、あれ高校生なら自然なんだけど、敢えて中学生でやって見せたって部分も含めてね。
それよりもドキドキしたのは、雫が取り憑かれたように小説を書き始め、やがて行き詰まっていく過程描写ですね。
それとお爺さんによる評価で自分の「才能」と「夢」に踏ん切りを付けようとした雫の覚悟、というか雫がそこまで追い詰められていたということでもあるけれど。
雫も初恋の相手が、天沢聖司というバイオリン作りを目指すという天才肌の少年じゃなかったら、こうはならなかったでしょうね。
迂闊に言っていいなら、「夢」や「才能」への恋愛と言って良いかも知れない。
そして雫は自分の中の「才能」に、こわごわ触れてみた。
「耳をすませば」の監督が近藤喜文氏で、宮崎駿氏が脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。
仕事量で言うと近藤喜文氏は、キャラクターデザイナーだったりアニメーション監督の作画面が中心だった人らしいから、監督をまかされた「耳をすませば」で、氏が宮崎駿氏と創作面でどんな関係だったのか?外からはちょっと想像が付きませんね。
でも先に書いた、雫がグーッと落ちていく部分の展開は、どう見ても宮崎駿的だと思うんですけどね。
で、前半は近藤喜文氏でしょ。
街の海の崖っぷちにあるアンティークショップ「地球屋」の「風景」としての描写なんか、それだけでもう完全に「物語」してましたもんね。天沢聖司が、背後に夜の町が見える「地球屋」への下り階段の踊り場にいるシーンなんか、雫視点でちょっと震えが来ました。
まあどちらにしても宮崎駿・高畑勲氏の二人が、自分のアニメ作りの際に、この近藤喜文氏を取り合ったというのは、「才能」のある人は他人の「才能」が判るの査証であって、近藤喜文って人の才能は相当だったんでしょうね。
ちなみにアテクシの才能は、浅く目が覚めた時、直前まで見てた自分の夢の展開を書き換える事が出来ることかな。
結構、面白い夢の時に、設定をもうちょっと変えたら満足出来そうとか考えて、もう一度眠りに入って夢を再現しちゃうわけ。
ただし修正率は30パーセントくらいだから、却って残念感が強いんですけどね。
逆に悪い夢とか、ピンチに陥ってる夢の時は、当然、それを回避するか全然なかった事にして違うのを見ようと思うんだけど、こっちは成功率30も行かないですね(笑)。