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The GORK  33: 「くちなしの花」

33: 「くちなしの花」

 月の光りもない闇の中で、庭園の植え込みに潜みながら、博物館の様子を観察する。
 博物館の周囲の地面には、アッパーライトが埋め込んであって、その幾つかが未だに点灯していた。
 そのせいで、博物館は巨大な石碑のように見える。
 剛人さんは視線を左右に走らせると、迷わず右前方に進み出した。
 博物館の裏手の方向だ。
 僕も遅れないように必死でついて行く。
 博物館の裏手に回ると縦長の大きなシャッターが目に飛び込んでくる。
 剛人さんはそのシャッターの隣にある通用門らしい鉄扉に真っ直ぐ向かった。
 僕は剛人さんを追いかけながら、いつ野犬の群れが僕らを襲ってくるか、気が気でなかった。
「このシャッターから、展示物だとかを、搬入するんだろうな。」
 剛人さんは博物館の壁の側で、例によって僕には判らない「何か」を値踏みしていた。

「あそこに監視カメラみたいのが。」
 僕だって気がつくことの一つや二つはある。
 僕は出来るだけ小声で言った。
 シャッターの右斜め上に取り付けてあるカメラのレンズがこちらを見下ろしている。
「心配しなくて良い。此処はメインの施設じゃないからね。もう通電していないだろうし、していも誰もモニターしていない。警備会社は火災探知装置だけで充分と判断してる筈だ。廃棄された施設なんてそんなものだ。煙猿があれで何か細工をしていたとしてもモニターにかじりついてる程暇じゃないだろうし、それに私たちはどの道、ここからしか中に入れない。」
 剛人さんは胸ポケットからボールペン程度の長さの細い金属棒を取り出すと、通用門の鍵穴に突っ込んでそれを器用に動かし始めた。
 程なくするとカタンと金属が動く乾いた音がした。
 僕は前から剛人さんの正体を、警察か軍の人間か、あるいは犯罪者の類ではなかったかと考えていたけれど、この解錠の腕前を見てかなり後者の可能性が高いのではないかと思い始めた。
 凄腕の窃盗団の首領、、、僕たちが乗ってきた車、トヨタGT2000レプリカの値段、後で調べてみて驚いた、、一介の元お抱え運転手が手に入れられるような額じゃない。
「さあ、ここから先はお喋りはなしだ。君は絶対に私の後ろから離れないこと。約束事はそれだけだ。いいね。」
「はい。」
 僕は今夜、何度「はい」と返事をしただろう。
 所長と一緒に行動するときは一度も「はい」と言った記憶がなかったのに。

 世界の古い陶磁器を展示してたのか、、、まだ撤去されきっていない、あちこちのディスプレイ板を見て初めて、この博物館の展示内容に思い至った。
 どの展示ケースにも現物はもうなかった。
 あるのは空虚な空間と、その空間を辛うじて照らし出している非常灯の淡い緑の光だけだ。
 この博物館の展示方法は、時代区分よりも地域を優先しているようで、今僕たちがいるエリアは西ヨーロッパのようだった。
 それから考えると、階や大きな壁で区切られる展示ブロックは、後、幾つかあるように思えた。
 剛人さんの歩みは実に堂々としていた。
 そのくせ足音一つ立てず、周囲には細心の注意を払っているようだった。
 階段を上がる時に、普通の階段の横に併設してある身障者用のスロープを用いたのは、薄暗闇で僕が段差に足を引っかけない為の配慮だ。
 僕の全てをフォローしてくれる出来過ぎた大人としての剛人さん。
 初めてであった頃は、所長にはないその大人としての魅力に惹かれ、次に澄斗君に見せた人間としての「弱さ」にココロごと溺れそうになっていた僕。
 でも澄斗君の整理をつけようとする剛人さんは、「完全無欠な大人」に戻っていた、、。

 スロープの横の壁には、歩行者に沿うように斜めのケースが延々と繋がっている。
 その下に一メートル間隔ぐらいで、時代を1世紀ずつ進むプレートがあって、ここだけは歴史推移で見せたい何かの展示物があったのだろうと思わせた。
 腰を屈めたお猿さんが段々直立して歩く裸の人間になる例のアレだ。
 そのプレートが20世紀を終えて、床の傾斜がフラットになり暫く歩くと、大きな天窓が取られたブロックに入り込んだ。
 上空では雲の切れ間に月が差し掛かったのか、僕たちの周囲は、白々とした光が満ちる空間になった。
 剛人さんは、何かを発見したのか、突然立ち止まった。
 彼の後を必死で付いて行くしかなかった僕は、思わず剛人さんの背中にぶつかりそうになった。
 剛人さんの分厚い手が僕の顔にかけられる。
 僕は嫌な予感に襲われながらそれを振り払った。
 剛人さんが気に留めてくれる、僕が見てはならないもの・・・逆に言えば、それこそが僕が見るべきものだった。

 ・・・もしかして行方知れずの所長が?・・・僕は覚悟した。
 覚悟できるものではなかったけれど、覚悟しなきゃ、、、。
 剛人さんが分厚い手で遮った先に、それはあった。
 元は非常に大きな陶磁器製の壷を並べて置いてあったのだろうと思われる展示棚のど真ん中に、それはあった。
 最初は、撤去し忘れた彫刻かと思えた。
 でもそれは芸術品らしからぬポーズをしていた。
 人間が犬のチンチンの格好をして座っている。
 僕の肩を掴んで動きを止めようとしている剛人さんを無視して、僕はその像に近付いた。
 胸が早鐘のようになる。
 近づくにつれ、それが所長ではないことは、なんとなく像の雰囲気でわかった。
 でも最悪の結果である事には違いはない。
 あれが澄斗君と一緒に見たあの人間剥製であるのは間違いない。

 沢父谷姫子だった。
 僕が想像していた、どんな悪い結末よりも、もっと悪い結果で沢父谷はそこにいた。
 僕が知らないところで、僕に恋をし、僕にその思いを告げた途端に行方不明になった女子高生。
 公衆便所とさえ噂されたのに、胸に純情を秘めた娘。
 どんな悲惨な死に方をしようと、人間自体が持つ尊厳が、人の死体をゴミ以下のものにはさせない、しない、そうさせない、その筈だった。
 それは生き残った人間が、その死体からなんらかの意味を汲み上げようとするからだ。
 けれど、その死体の形が人の悪意によって態とねじ曲げられていたら、、。

 快楽に歪んでいるのか、苦痛に歪んでいるのか判らない目の周りの表情に相反して、沢父谷姫子の口は大きく広げられていて、その舌が無い物ねだりをするように反り返りながら突き出ている。
 突き出した形のよい尖った顎、牙を打ち込みたくなる白い喉、野外での排泄の時のような腰を落としきった座り方。
 犬がお手をしたような手のひらのあげ方。
 大きく広げられた膝の間からは局部が恥ずかしげもなく見える。
 煙猿は、何故こうまでして、女性の尊厳を傷つけ、更にその無惨を死体に刻み込もうとするのか?
 僕には判らなかった。
 けれど僕には一つだけはっきりしている事がある。
 僕は決して煙猿を許さないという事だった。


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