10日連続投稿記念よくわからない話
10日連続投稿のバッジを拝受した。ありがとうございます。大したことは書いてないが、10日間毎日続けられたのは、これはちょっとすごいことだと思う。生来飽き性だし、やや完璧主義なところがあったので駄文をためらいなく投稿できるとは思っていなかったんだけど、存外にくだらない文章でも気にせず吐き出せるようになったっぽい。
ともあれ「なにかを書く」試みは成功しているようだ。この調子で続けていきたい。
真夜中にのっそりと起き、昨夜の残り物を食べる。刻んだ野菜がごろごろ入ったミネストローネである。それを雑にお椀に盛り、例のごとく二階で食べる。小学校の給食ではよくこのミネストローネというスープが出ていたことを思い出す。なぜかアルファベットの形をしたマカロニが大量に入っているやつである。朴訥な味で、大量の食材を恥じらいなく煮込んでいるせいか深みがなく、暴力的なトマトの風味だけがいやに主張している、調律の取れてない料理だ。こうした感覚はナポリタンにもやや似ている。ケチャップとウインナの味しかしないパスタもどき。このミネストローネは家庭料理だというが、同じくイタリアでは庶民や漁師の賄いとして親しまれているペスカトーレとは雲泥の差だ。給食に出ていたころからそれほど好きな料理ではなかったが、「食事が嫌い」になってからは一層好んで食べることはなくなった。
そう、僕は食事が嫌いなのである。食事をとらねば人間はみるみるうちに衰弱していくし、おろそかにすることは健康上の観点からもよろしくないことは自明である。しかし、僕はその必定に鼻持ちならない思いを覚えるのである。なぜ高度に文明化した種族でありながら、食事などという原初的なシステムの桎梏から逃れることができないのか。代謝が非常にエネルギー変換効率のいいシステムであることは重々承知しているが、そもそもエネルギーなくして活動することができないなどという生物としての欠陥に嫌気がさす。シンゴジラのように体内で核分裂を起こしながら無限に活動する生物であれたら、などと妄想することもしばしばだ。
もちろん好きな料理はゴマンとあるが、それはただちに食事を肯定することを意味しない。映像や音を視覚や聴覚で愉しむことと同様に、食とは味覚を用いてある種の「芸術品」を鑑賞していることに外ならない。やや高尚な物言いだが、要するに食文化とはこういうことだろう。古代ローマ人は「食べること」そのものを楽しむために食べ物を吐いていたという俗説があるが、これはわからないでもない。ある種の究極の食事法なのだろう。僕はそこまでしたいとは思わないが、なにか食事を代替できる機能があれば迷わずに実装するだろう。味覚はオミットしないでほしいが。
うん。よくわからない話をした。
プライド月間ということでDbD内でBPを取得できるコードが発表された。全部で55万ポイント。上限が100万なので、一瞬のうちにその半分を取得できたのはうれしい誤算だった。現在は新サバイバーのハディ・カウルのプレステージを回している最中であり、BPはいくらあっても足らないくらいなのだ。上限の見直しをDbD運営においては切にお願いしたいところだが、なかなか重い腰を上げようとしない。そもそも1試合での取得可能ポイントが少なすぎると思う。常にBP2倍でいい。
僚機であるフレンドもようやくグレード彩Ⅰに到達したので、キャリーの役目を終えてエンジョイプレイに舵を切る。とはいってもわりと勝ちにこだわるほうなので、なめたプレイは二人ともしない。あくまで全体の試合運びに貢献したうえで自分のやりたいことをやるという感じ。パークで遊ぶというようなプレイスタイルはとうの昔に卒業したので、あとは既存の固定パークが今後の調整でどのように変更されるか。正直、一部のパークを除いてほとんどすべてのパークが試合に全く必要のないパークと看做されている。運営もそれは諒解しており、40以上のパークの使用変更を検討しているところだという。セルフケアと絆、デッドハードは変更してほしくないところだが……。