上本町で同級生とHello Darling、元町でクンデラとバチウ、そして友人と再会
奈良で同級生と会ったが話し足りず、彼女の住む上本町、谷六界隈にあるというドイツ人女性が経営する古着屋へ行ってみよう、という話になった。その前に彼女のおすすめの雑貨屋とカフェへ。
この日も夏日でJR玉造から徒歩で10分ほどだったかを歩いただけで汗をかいた。30度を超えないとはいえ、秋らしさなど微塵も感じない、そんな日曜日の昼下がり。玉造という土地柄なのか道ゆくひともほとんどいない静かな通り。信号を渡った角のところにそれらしきお店が見えてきた。こんな場所にあるのに近所の人が来ているのだろうか、カフェが満席だったので上の階にある雑貨屋さんを目指す。
店内に入ると使いやすそうな食器類が目に留まる。飲みやすそうなマグカップやケーキ皿。店主の好きなものばかりが集められているお店。
「こんな店がやりたいねんなぁ」
と同級生がいうので今すぐやればいいのに、と毎回のように思う。彼女のセンスや才覚ならうまくいくようにしか思えないからだ。しかも彼女は今の仕事にそれほど愛着を感じているわけでもないらしい。石橋があるのに目に入らなくて川に突っ込んでいく私に比べ、彼女は石橋を叩きすぎて壊してしまうタイプらしい。いい加減、というのは難しいものだ。
それはともかく。雑貨を一通り眺めてから階下に降りると席が空いていたので美味しいコーヒーを飲んでいくことにする。これまたこだわりのあるお店、という雰囲気。居心地もいいしブラックで飲むアイスコーヒーもとても美味しかった。
ひとしきり話したあと、また少し歩いてHello Drlingへと向かう。どんな人がやっているんだろう。同級生の話では最近仕入れにベルリンに行ってきたばかりなんだそうだ。お店に一歩入るとパァッと明るい笑顔で迎えてくれた。
この人は日本が長いんだろうな。
なんというかそんな感じのする笑顔だった。ドイツではあまり見ない類の底抜けに明るい笑顔。ドイツ語をたまに交えてお互いについて少し自己紹介のようなものをする。店内をあれこれ見ていたら、セバルさんがこれはどう?とブラックのサマーセーターを持ってきてくれた。来てみるとちょっとオーバーサイズだがせっかくの出会いなので購入することにした。オーナーのセバルさんが好きなものがぎっしり詰まったお店。どうせ買うなら愛のこもった服のほうがいいじゃないか。
惜しくもお店で開催されるドイツ関連のイベントにはスケジュールが合わず参加できなかったが来年も足を運んで、できれば何かイベントらしきものを企てたいところ。絶対にまた会いましょう!と言って別れた。大阪が呼んでいるー!!
「ベルリンがつまらない、なんて言っちゃったら、もうどこもかしこもつまらないんじゃない?」
とセバルさんに笑われたがそんなことはない。今の私にはつまらないだけであって、もちろん受け取り方は人それぞれだからだ。そんな彼女がドイツにはもう戻らないと思う、と言っていたのが印象的だった。もっといろいろと話がしたかった。リンクがうまく貼れないのでインスタのスクショを載せておきます。
3人で話し込んでしまい、元町に移動するのが遅くなってしまった。まだお会いしたことのない知人からレクチャーのお知らせが入ったのでそこへ向かう必要があった。テーマは「歴史」の運命と「私」の自由。クンデラは2冊くらい読んだことがあるがほとんどその内容が頭から抜けてしまっていたし、バチウについては名前を聞くのも初めてだった。ただ、中欧という場所と文学者、そしてタイトルになんとなく惹かれて「何かヒントになるものがあるかもしれん」などと言いつつ同級生を誘ってみることにしたのである。すると、同級生がこういうではないか。
「その本屋さん、ちょっと気になってチェックしてたとこやわ。元町やろ、行こ!」
同級生は本屋兼雑貨、できればカフェも併設しているようなお店を持ちたいのだ。聞いてみてよかった。ふたりとも話し込んでクタクタになっていたので様子を見て途中で抜けてもいいかな、くらいの気持ちで元町へ向かった。要するにお腹がぺこぺこだったのである。このまま向かってもお腹がグルグル鳴りだすに決まっている。元町といえば中華街、というのを忘れていて駅を降りて本屋に向かう途中、買い食いをして事なきを得た。
「これでなんとかなりそうやな。」
なんだか長くなってしまったが、まぁ人生、何事もサバイバルなのだろう。実際、長すぎる1日だった。正直なところ、あまりよく眠れない日が続いたせいかさすがに少し疲れていた。
時間より数分遅れで本屋へ入ったらすでにほぼ満席。席を確保して耳を澄ます。まさか神戸でルーマニア語やハンガリー語、そしてドイツ語で詩を聴くことになるとは夢にも思わないじゃないか。不思議だなぁ。そして、誰かが遅れて入ってきたな、と思ったらベルリンで知り合った古い友人だったので思わず「えっ?」と声が出た。こんなことある?
「なにやってんですか、こんなとこで。というか帰ってきてるんやったら連絡くらいくださいよ」(すみません、ほんまそう)
そういうわけで早めに抜けて帰るはずが結局、最後までいた上、なぜか打ち上げにまで同席することになってくたくたどころか死にそうになった。ベルリンで知り合った友人が登壇者のひとりと友達だったのだ。世の中、さすがに狭すぎるでしょ。
3年間のサラリーマン生活からシュテファン・バチウの研究を始め、とんでもなく分厚い本を執筆された阪本佳郎さんはレクチャーの中でこんなことを言っていた。
「ネットワークが街に(故郷に)なる」
これだ!多分、私の目指したいのはこういうことなんじゃないかと思い、この言葉が聴けたのだから元町に来て正解だった、と若干フラフラしながら思ったわけである。
来年は京都で会いましょう。おふたりにそんなことを言って別れた。
ベルリンに帰ったら冬のお供にさせていただきます。
*タイトル写真は阪本さんがハワイのバチウの墓の下から持ち帰ったという「金のなる木」