ホームとアウェイ、一周回って初心に帰る
はー、無事に終わった!でもまたこれからが大変になりそうな本日(10月4日)の大学訪問。
よくよく考えてみると今回の一時帰国中、これまでにお会いした方がほぼ全て女性の大学関係者、というのもこれまたすごい偶然である。会うたびに執筆された研究報告書なるものが増えていく。大学関係者以外にお会いしたのは娘の留学先の担当教員やお世話になるホームステイ先の方々である。
もうなんというか、一言でいうとベルリンの職場環境とは(予め理解はしていたものの)全くもって何かが違うのである。それはもう異世界に転生したような感じ。何と表現すればいいのかもはやよくわからない。とにかく職場環境とは180度違う世界なことに間違いはない。そしてやはりとんでもなく居心地がよいのである。「ホーム」ってこういうことなんだろうね。
しかし11月初頭の灰色の寒々とした空のもと、ベルリンに帰って一体全体どう感じるのだろう。また5時起きや0時過ぎの帰宅でくたくたに疲れてそれどころではなくなるのだろうか。それとも難民到着センターでコロナやらインフルエンザが猛威を振るう中、自宅でうんうんと唸ることになるのだろうか。今は全くもって想像すらしたくないではないか。
3週間ほどの日本滞在の刺激が強すぎて、すでにドイツに帰る自信がなくなりつつある。まだやるべきことが残っているので帰らざるを得ないのだけれど、今年の冬はかなり厳しいものになりそうな予感しかない。またあの完全「アウェイ」な環境でやっていけるのだろうか。
今は地元の関西にいるから余計にそう感じるのかもしれない。今回の滞在でつくづく思うのは日本にはこれだけ会いたい人がいるのに、ベルリンにはもうそれほどいないのでは、という事実だった。そもそも1993年に初めてベルリンに足を運び表向きは灰色で何もない街に惹かれた1番の理由はそこで出会ったクレイジーな人たちだったからだ。
あの人たちは一体どこにいってしまったんだろう?
ただ、救いがあるのは不思議なことに今の職場の同僚たちが一周回って90年代のようなカオスな雰囲気だということに尽きる。難民センターの利用者はロシア語がメインの完全アウェイなことはもちろんだが、同僚たちが90年代を彷彿とさせるクラブシーンというかカオスなメンバーが多いためである。ドイツ赤十字なのになぜ?と思われるかもしれないがコロナ禍に職にあぶれたクラブ関係者たちがコロナセンターで職を得たという経緯が背景にあるのである。
あの人たちはここにいたのか!
そういえばそうだった。だからアメリカ人の彼はドイツ語はさっぱりだがDJだというし、スポーツ担当のドイツ人のチームリーダーが実は地元のカルトバーの経営者だったりする。有名な音楽プロデューサーにも体育館ですれ違った。うっかりその事実関係を忘れていたがコロナテストセンターやコロナワクチン接種センターで働いていたクラブ関係者がそのまま難民到着センターで働いているというわけだ。
そんなことあるの!?
だから同僚たちはほぼお互いに顔見知りであったり、知り合いの紹介でこの仕事に就いているらしいのだ。なんだ、それだったらまた初心に帰って何とかなるかもしれない。意図せず初心に帰らざるを得ない環境に戻ってきていたのだから偶然というより必然だったのだろう。
昔付き合いのあったドイツ人にそのことを話すと「あ、それってまりこの昔の(ロシア)カルチャーに戻ったってことだよね」とこれまた非常に的確な表現で喜んでくれた。
ベルリンにいる意味を今回の日本滞在で突き詰めているような不思議な感じ。日本で会う人たちの中にベルリンが好き、とかベルリンに住んでみたい、と言ってくれる魅力的な人がいるうちはあの街もまだまだ捨てたものではないのかもしれないな。