コンテンツと器
自分の置かれた状況などについては、割ともうひとりの私視点から客観的に見ることができる方だとは思っているんだけれど、自分のことをよく理解できているかといえばそうでもないらしい。
最近は特に事件らしい事件もなく、平穏無事なというか平々凡々な毎日を送っているように感じる。今朝も友人宅にお邪魔する前に、朝からサッカーのユニフォームとカーテンを洗濯機に放り込んだ。
カーテンの洗濯、か。
洗濯機で適当に回して干しておいたら、見事に皺がいったが、もう日も暮れるのでひとまずカーテンレールにクリップで挟んで元の位置に戻すことにした。向かいのアパートとの距離がそれほどないので、さすがにカーテンがないと夜は部屋の中が丸見えになってしまう。別に見られて困るようなことはしていないが、そこまで開けっぴろげにする必要性も感じない。ベルリンの人は割とその辺の感覚が大雑把なのか、照明で明々とした部屋のカーテンを閉めない人も割といるのである。
他人の生活を覗き見たいとも思わないので、それほど気にはならないが、偶然目が合ったりするとさすがにちょっと引いてしまう。
ベルリンにそれこそ今日会った友人に言われたように、7年の4倍くらいは住んでいることになるが、予想外に長くなっただけで別に大したことはできていないし、してもいない。特に最近は繰り返しになるが、掃除をしたりゼルダのブレワイをやり込むことにハマっているのだ。
30年近く住んでいるので(怖っ!)ドイツのことをなんでも知っていて、ベルリン事情にも精通している、と思う人もたまにいらっしゃるようだがとんでもない。出産・育児を始めた頃からどうもあまりアップデートできなくなってしまい、逆に最近ベルリンに来た人から教えられることの方が増えた気がする。
それでも、話の流れでベルリンに来たばかりの頃の話になると、「その話は貴重です」と言われることがある。ここが盲点で自分ではただの昔話をしているつもりが、時代の空気感が違うためか興味を持ってくれる人が中にはいるようなのだ。ベルリンが今よりもベルリンらしかった90年代のことだ。
最近は全くドラマチックな生活を送っていないので、たまにいわゆる過去ネタのようなものを捻り出してnoteに書くこともある。最近だと「ベルリンに来たのに周りがロシア語話者ばかり〜過去にあったイタイ話④〜」などがそれに当たる。90年代のベルリンの記憶をかき集めてまとめておかないとなぁ、というのは前々から考えていたことなのでそろそろ本格的に始めた方がいいのかもしれない。
そういえば、初めてブログを書こうと思ったのも、モスクワでのインターンの経験が強烈すぎて、それを忘れないように、とエキサイトブログにまとめたのがきっかけだった。結局、それも2009年に第一子の出産後には中断してしまったが、現在の本ブログにはちょこちょこ過去ネタも書いたりはしている。
やりたいこともいつまでもやらずにいると、タイミングを逃してしまうんだよなぁ、と友人との話でつくづく思い知らされた。そう、いつまでもこうやって物が書けると思わない方がいいのである。何をやるにしても体力に気力は必要で、なんならはっきりとした頭と十分な視力も必要なのだから。
なんだか年寄りじみた投稿になってしまったが、いつまでも若いと思うなよ、と自戒も込めつつ今日はこの辺で。