ベルリン生活スタート
ベルリンに来た95年。初めに転がり込んだのはベルリンで知り合ったキャプテンの住むAußenkloでシャワーもないアパートだった。
Außenkloというのは階段の踊り場付近に備え付けられている共同トイレのことだ。今はベルリンのどこを探してもそんな物件はほとんど残っていないはず。
日本でごくごく普通の大学生を終えたばかりの私にとって、そんな風にベルリン生活はスタートした。
キャプテンの住んでいるアパートにシャワーがないことも、アパート内にトイレがないことも、もちろん想像だにしなかった。ワクワクしながらベルリンに着いてみて初めて知ったのだからいい加減なものである。
そんなキャプテンにシャワーをどうしているのか、と尋ねたらなんと近所の公共プールに浴びに行っているらしい。「泳げるし一石二鳥だよ。」
そんな考え方があるなんて夢にも思わなかった。そして心底呆れた。
キャプテンは90年代のベルリンにありがちなLebenskünstler、所謂ボヘミアンだったのだろう。いつも奇抜な格好をしてノイケルンやクロイツベルクを一緒に歩いているとジロジロ見られることが多かった。当時のベルリンを歩いていても浮いていたのだから大したものである。
そんな訳のわからぬ共同生活はシャワーなしではいられない私が数ヶ月後に根をあげ、道で偶然すれ違ったキャプテンの知人イボンヌに拾われるような形で幕を閉じたのである。
めでたし、めでたし。
といいたいところだが、これまたハードなWG(シェアアパート)で場所がクロイツベルクはオラーニエン通りからすぐの脇道に入ったロフトアパート。シャワーとバスがふたつあり、リビングにはビリヤード台まで備え付けられていた。
これまでのシャワーなしの生活からは考えられない。
まさに天国と地獄。
WGを構成する4人は大学を卒業したてで、海外生活どころか世間知らずの日本人である私に生物学専攻のドイツ人女子学生、アメリカ人でバンドマンのキース、これまたハードロックバンドのボーカリストであるカナダ人イボンヌ(オーナー)であった。
ベルリンに来て数ヶ月後に初めてWG代として月極めの家賃を払いだしたのがこの頃だ。そういえば、キャプテンの住むアパートが違法だったのかそうでなかったのかすら記憶にない。とにかくアパートには家具らしいものなど一切なかった。
そして、ある日近所のギャラリーで展示準備をしていた建築家3人と知り合った。WGからすぐのギャラリーで遅くまで作業をしているところを偶然通りかかったのだ。3人はロシア語を話すモスクヴィッチ(モスクワっ子)。
3人のうち2人は展示期間が終わって数週間後にモスクワに戻ったが、帰る前に残りひとりの荷物と共に現れこう言った。「じゃあ、後はよろしくw」
とにかく1秒でも長く一緒にいたかった相手だったので、驚いたものの特に何も考えずにさっさと荷物を受け取った。出会いや共同生活の始まりなんてそんなものだ。
滞在ビザを持たないモスクヴィッチは3ヵ月以上、そこにいたがある日突然、陸地ルートでモスクワまで帰っていった。一体、どういうルートでモスクワまでたどり着いたのか。今でもさっぱり見当も付かない。
目の前にいる人と単純に一緒にいたいかそうでないか。私にとってはそれが一番大切なことで、家賃を折半するとかそういう細かな話は正直どうでもよかったのだ。
そして恐らく今でもそこのところは大して変わってはいない。「恋愛」という意味においては。
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