Oculus Rift。
外苑前で開催中の「東京デザインウィーク(TDW)」で、Oculus Rift(オキュラス・リフト)をはじめて体験してきた。
知ってる? オキュラス・リフト。
このオキュラス・リフトは、写真のように頭に装着すると、ヴァーチャル・リアリティの世界を360度見渡すことができる軽量ヘッドマウントディスプレイ(HMD)。目標25万ドルの開発費をKickstarterで募集することからはじまって、そのたった二年後の今年、Facebookに20億ドルで買収されたというテクノロジー業界の寵児。
もともと注目が集まっていた技術ではあるのだけれど、買収が発表されて以降テック業界では話題騒然で、一躍スターダムにのし上がったこのオキュラスを賞賛する声もあれば、当初からお金を出して支えていた人たちの中には「いきなり大手に身売りしやがって!」とぷりぷり怒っている人もいる。
で、そのオキュラスが実際にどんなものなのか自分もずっと興味があったのだけど、TDWでようやく体験できた。
ひとことで言うと、衝撃だった。
まるで、事故にでも遭ってしまったみたいに。うろたえた。
オキュラス・リフトが体験させてくれることは、文章で説明すること以上のものはない。オキュラスを装着すると、壁、天井、床の全面がつぎめなくスクリーンとなった映画館に放り込まれるような感覚だ。きっと簡単に想像できるだろうし、僕自身、想像してたものとほとんど違いはなかった。
しかも正直画像はまだかなり荒い。なんならスクリーンのドットが見えるほどだ。たとえば空の映像が映し出されたって臨場感はないし、ましてそれがリアルな空だとは到底思えない。
またこの道具を使っての映像制作ははじまったばかりなので、映像クリエイター側の技術も追いついていない。そこには試行錯誤の生々しい悲鳴みたいなものが聴きとれる。目の前の世界が「誰かの手によって作られたもの」だと受け手が感じてしまううちは、受け手はその世界に没入できない。神はけっして姿を見せてはいけない。
でも。
それにも関わらず、オキュラスは衝撃だった。
なぜなら、僕らはテクノロジーが進歩することを知っているから。
三十代以降の世代ならわかるとおもうけれど、携帯電話で写真のやり取りをする写メールだって、最初の画質はひどいものだった。説明がなければなにが映っているのかさえわからないような写真だ(というのは言い過ぎにしても)。
でもその事実ひとつで、これからオキュラスをはじめとするHMDの世界がどんな進化をどんなスピードでしていくか、僕らは容易に思い浮かべることができる。開発者はこのデバイスを乗数的なスピードで高解像度化していくだろうし、アーティストはそれを使いこなそうと枯れることのない情熱を傾けると思う。
今回、僕が圧倒されたのはミュージックビデオをオキュラス用にも制作して、体験できるようにした倖田來未のブースだった。オキュラスの他にヘッドホンを装着して、彼女のMVの世界に入る。
体験者は大空を浮遊するブロックに腰をかけたまま、音楽に合わせてめまぐるしく変わっていく世界を飛行していく。周囲には雲がただよい、青空に浮かんでいる島々がいくつも見える。空中で、あるいは空に浮かぶ大地で、倖田來未が歌ってダンサーが踊る。そのあいだを体験者をのせたブロックはフライトしていく。約三分ほどの作品だ。
さっきも書いたとおり、その世界が「作り物」だってことは画質の荒さからも、CGのクオリティからもわかる。MVの世界に没入することはできない。でもそこで僕は開発者とアーティストが投下した、莫大な情熱の熱量を感じる。
──そこに映っているのは、互いに振り下ろした真剣がぶつかり合って発する、火花みたいな光だ。
このオキュラスはまだ初期のモデルでも、高性能化した先にある可能性は計り知れない。TDWの会場を後にしてから、このテクノロジーが巨額で買収されたことをようやっと理解した。
Facebookがどんなことをしようとしているのかわからないけれど、もし狭いルールのなかで利用とするのであればもったいないし、おそらく他の企業が名乗りをあげるだろう。いずれにせよゲームとは親和性が高いし、お馴染みのアダルト産業もテクノロジー拡散の一躍を担うに違いない。医療や教育の現場にもこれまでのメソッドとは違う新たな手法が生まれるだろう(そしてもちろん新たな問題も)。
僕も作り手のひとりとして、この新しいテクノロジーでいったいなにができるのだろうと想像する。それだけでもうわくわくしてる。
11月3日でTDWは終わってしまうけれど、時間があればぜひ会場へ。未来の尻尾に触れてきて欲しい。
あ、ちなみにTDWでは他にもいろんな作品がずらありと展示されているので、デザイン・アートに興味のある人はかなり楽しめると思います。