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Perfumeを見ずして世を捨てる
東京オリンピックが閉幕しましたね。 おそらく東京以外では開催できなかったであろうオリンピックの開催は、多くの人の心に禍根を残したと思います。五輪で感染拡大が広まったとしたい人々と、この状況でオリンピックを開催できたことは評価されるべきだとする人々。 ふと夜にTwitterを見ていたら閉会式での中継途中からマツケンサンバⅡを熱望するtweetが広がり始め、いつしかYoutubeのマツケン公式のコメントにはこんな意味の書き込みが増えていました。「閉会式で将軍様が見れて嬉しい」。 これらの書き込みと連動するようにTwitterでも「今、閉会式でマツケンサンバやっている。」体でのtweetが増えていき、その世界線を楽しむ現象は、リアルの閉会式がちょっとアレな感じになっていくにつれて加速していくことに。 この「現実はもう、ちょっと残念だけど私の中の世界線ではこうだもんね!」という現象はいつから起きたんでしょうか。ラピュタとかかな?Twitter大喜利からの発展系だとは想像出来ますけれど、ネット考古学者の考察が待たれます。 世界線って言葉も普通に使われるようになった起源、わからないですよね。でもこれって何も特別な概念じゃないんです。日本文学の古典は世界線の宝庫ですし、何よりシン・エヴァンゲリオンは劇場版とは別の世界線です。 歌舞伎や神田伯山師匠(ラジオが面白いのでぜひご一聴を)で人気が復活している講談も、日本の古典芸能は世界線って奴で出来ています。東京オリンピック閉会式で見られた現象は日本人お得意の楽しみ方であったと言えるでしょう。 例えば、閉会式で解説されていたフェンシングの太田さんがぶっちゃけた、「海外選手がギブアップ」が、多くの人に共感されたのは「本音と建前」の建前が取っ払われる瞬間が日本人は本当に大好きだからです。 この「ハレとケの往来」こそが私たち日本人の無意識の奥底にある爆発力であり、それを古代の人々は「ますらおぶり」と呼びました。高校の古典でやりましたでしょうか?呼んだだけでなく詠んだのです。和歌として。 その対称である「たおためぶり」とは女性的で繊細な感性の意味ですが、細部に渡って行き届いた「おもてなし」に通ずる、ある種の完璧さを求める心のありようとも言えます。何かをやるならキチンとやりたいと思う心でもあります。 東京オリンピック2020はどうだったでしょうか。