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雑誌に載らないお台場・有明観光 [05] - 姿を消す都心の廃橋 青海橋

はじめに:埋立地のイメージと橋の関係

お台場・有明の土地は海を埋め立てて作られています。 その際、なんとなくドカンと一度に造成するイメージを持たれがちですが、 実は造成した年代が異なる多数の埋め立て地で構成されています。

造成された時期による表。お台場と有明も色の違う土地が組み合わさっています
https://www.pa.ktr.mlit.go.jp/tokyo/history/pdf/e-do01.pdf


 一番新しいものでは現・有明親水海浜公園の敷地は2000年代に造られました。この街の歴史は、様々な背景から造成された埋立地同士を増やし繋げることで出来ている訳です。

なかには、間に船を往来させる運河が通っているようなケースもあります。
陸続きに出来ない場所では、埋め立て地同士を繋ぐため橋を架けることになります。

さらに、臨海副都心の特徴として、特に台場地区は地上の車道とその上を通る遊歩道に分ける設計(歩車分離)がされています。 そうした歩道の更に上を、ゆりかもめが抜けて行きます。

ゆりかもめ→歩道→車道と縦に分かれている

そのため、立体交差橋が多く設けられています。
駐車場の上を通るウエストプロムナード(シンボルプロムナード公園)やテレポートブリッジはその一例ですね。 そうした設計が仇となり、お台場の移動は上下移動が多く不便と言われることがあります。

さて、前置きが非常に長くなりました。 ここからが本当の導入です。
そんな橋だらけのお台場・有明にあって、現在は渡ることすら出来ない橋があります。 何なら地図にも載っていないことがあります。 その不思議な景観は都心の廃橋とも呼ばれ、一部ではとても有名だったりします。

それが「青海橋」です。

運河に掛かる橋をくぐっていく水上バス

この橋は13号埋立地(台場・青海)と10号埋立地その1(有明)を横切る有明西運河を跨ぐ橋として整備されました。今回はいよいよ解体が始まる青海橋について、簡単におさらいしてみます。


夢の大橋の隣にある橋

場所は水の広場地区。夢の大橋の横にあります。

夢の大橋からの眺め
ピンク色の水道管の右にあるのが青海橋

現在一帯は別の工事が進んでいるため、既にアクセスが難しくなっています。青海側から行きたい場合は湾岸アンダーの横断歩道を通って水の広場公園へ。 有明側から行きたい場合は夢の大橋と水の科学館の間にある通路を通って近づきます。

青海橋が話題になる理由

青海橋が度々話題にのぼる理由は幾つかあります。
① 両端に繋がる道路が既に存在しない
橋だけがポツンと残っている不思議な光景は通りがかった人の目を引きます。

有明側は公園に突き刺さる形で存在
青海側は草木に覆われてよく見えないが…
近づいてみると橋の終端が歩道でぶった切られている

② ビルが並ぶ景色に佇む廃橋のインパクト
周囲に臨海副都心のビルが並ぶなか、錆び付いたり植物に巻かれていく橋のギャップです。

有明側から見た青海橋
橋の銘板はツタに覆われ、柵は錆びている

③ どうしてこんな橋が生まれたのか
①と②を含め、そもそも何故このような橋が生まれてしまったかが話題になります。 時には税金の無駄遣いと後ろ指を指されることもありました。

青海橋の有明側から青海側を眺めた景色

今回のnoteはそんな青海橋を端的に紹介する目的で書いてみました。

青海橋の一生

青海橋は臨海副都心の開発が始まる2年前、1987年に開通しました。

左下に船がある場所が現在センタープロムナードやトヨタアリーナ東京がある一帯

当時は青海地区のなかでも沿岸部に面していた橋でした。
1990年までは周囲の埋立工事用道路として使用され、1991年~1994年まで一般道として使用されています。繋ぐ道路がなくなってからは、2019年頃まで遊歩道として近隣勤務者に向けて開放されていました。 近年東京都の入札情報に解体設計や解体工事が出るようになり、いよいよ解体が進むことになります。

橋が取り残された経緯

青海橋が取り残された背景には、橋の整備が始まる時期と前後して、急激に臨海副都心開発の計画が動き始めたことがありました。
青海橋が竣工した1987年は、臨海副都心(お台場・有明)の開発方針が定まってきた頃でした。 そもそも1985年に東京テレポート構想が発表され、そこから数年で矢継ぎ早に開発規模が膨張しています。 そして1989年から開発が着手されました。すばわち、急に誕生した開発計画によって橋の居場所がなくなったようです。
例えば…。

  • 青海橋の真横をレインボーブリッジへ行き来するアンダーパスが通る(すなわち、橋に向かう道路が邪魔になる)

  • 青海橋が面していた沿岸には埋立地造成が決まり、区画の割り振りと再整備が必要になった (現在のトヨタアリーナ東京がある部分は90年代まで舟だまりでした)

  • 臨海副都心で想定される交通量に見合うよう、更に幅が広い道路と大きい橋の建設が決まる (現在の夢の大橋とあけみ橋です)

片方二車線で広い歩道を持つあけみ橋

こうして青海橋は臨海副都心が街開きする1996年を前に役目を終えることになります。

では青海橋が無駄だったかと言われれば、周辺で作業する自動車や臨海副都心開発で役割を果たしてきたことには変わりません。 建設費に見合ったかと言われれば難しいのかもしれませんが、事実としては、怒濤の勢いで具体化していった臨海副都心開発に翻弄された橋と呼べるでしょう。そういう意味では少し可哀想だったのかもしれません。

ガードレールには昭和62年の表記が残る
車が走らない車道と点かない街灯
橋の銘板

すぐに解体されなかった理由は、埋め立て地に架けたことから基礎が丈夫であり、解体費が掛かる判断だったとされます。その後オリンピック前までは遊歩道として開放されていましたが、オリンピックに向けた整備と合わせて閉鎖されてから今に至ります。

終わりに:一斉に開発・再開発が進む水の広場

トヨタアリーナ東京、テレビ朝日東京ドリームパーク、コナミクリエイティブフロント東京ベイの建設。 そして青海橋と共同溝展示館の解体。

パレットタウン跡地に建設中のトヨタアリーナ東京
建設中のコナミクリエイティブフロント東京ベイ

ここ数年、水の広場公園周辺は怒濤の勢いで工事が始まっています。 臨海副都心初期から残る施設が次々と消え、新しい町並みが生まれていくのでしょう。
長らくお台場へ行っていない方も、特に今後数年間で街の変化に驚くかも知れませんね。

終わりに:

今回は、前回紹介した共同溝展示館と隣接する青海橋を紹介しました。 副都心開発に翻弄された縁の下の力持ちといったところで、単なる廃橋に留まらず様々な捉え方をすることができます。


そのため青海橋は私にとって、お台場の歴史を紐解く動機づけになったひとつでした。 ある種寂しさを感じると共に、今後数年で周辺の環境がガラリと変わっていきそうな楽しみが入り混じる光景も、あと僅かになっています。

次回予告 6/28(金)

お台場海浜公園にひっそりと存在する慰霊碑のお話。
過去の記事はマガジンからご覧下さい。

参考:お台場オブジェ・モニュメントマップ

掲載情報のダイジェストやマップはホームページにまとめています。

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