雑誌に載らないお台場・有明観光 [08] - で、どこまでが「お台場」なの?
東京・お台場。
たびたび頭に「東京」が付けられる理由は、同様の砲台場がかつて全国に造られたからです。そのひとつである東京のお台場で人と会うとき、「お台場集合!」とだけ言われたら、あなたはどこを目指すでしょうか。
品川台場、お台場海浜公園、台場駅、自由の女神像、ダイバーシティ、東京テレポート駅、テレコムセンター、日本科学未来館などなど…
察するに、一斉に「お台場集合」と呼びかけたら恐らく全員とは出会えません。
ではそもそもお台場ってどこなの…?
今回は、そんな「お台場」の範囲に関するお話です。
(今回は長くなりました…)
狭義のお台場 ・・・ 品川台場
元々お台場は、江戸時代に築造された品川台場(品海砲台)を指しています。それをお上(幕府)が造ったものとして「御」を付けたことが「お台場」のルーツとされています。
よって、生真面目なあなたは悩んだ末に現存する第三台場(現・台場公園)へ向かうかもしれません。
そんな品川台場は元々海上に7基築造され、当初「お台場」の名称が指す範囲は現在で言う天王洲アイルからレインボーブリッジまでの広範囲だったであろうことがうかがえます。そして今や台場公園となった第三台場と立ち入り禁止の第六台場だけが残ります。
それ以外は東京港の発展に伴い航路の邪魔になったり埋立地を整備するため、崩されたり埋没して姿を消しています。
また、身近な例で言えば、天王洲アイルにはシーフォートスクエアという施設があります。海の砦という名称の由来は、施設の下には第四台場が埋まっていることと関連しています。
その辺りの話を知りたい方は、台場公園を管理している東京港埠頭株式会社のホームページに説明があります。
この記事的に伝えたいことは、より多くの品川台場が現存していれば「お台場」の範囲は現在より広く、天王洲アイル辺りもまだお台場の範囲に入っていたかもしれません。
住所としてのお台場 ・・・ 東京都港区台場
次に、住所としてのお台場を考えてみましょう。
住所としては存在しない「お台場」ですが、品川台場を由来として「港区台場」が存在します。そんなわけで、住所としてのお台場を考えたあなたはお台場海浜公園駅や台場駅を目指すかもしれません。
とはいえ、ここにはお台場を冠した施設が多数あります。お台場海浜公園、アクアシティお台場、ヒルトン東京お台場などなど…そしてお台場のアイコンとなっているフジテレビや自由の女神像などなど…
選択肢が多数あり、この時点で全員とは出会えそうにありません。
確かにお台場だと感じる方も多いですが、そして同時に、他にもお台場と呼ばれる場所はあるよね?と感じる方も多いことでしょう。
ちなみに、第三台場の住所は台場1丁目10−1です。
1996年に臨海副都心が街びらきするまでは港区港南5丁目に属してました。
商業施設・観光地としてのお台場 ・・・ 通称お台場
更に拡大して、感覚的にお台場だと感じる範囲を考えてみます。
港区台場に加えて、潮風公園と船の科学館がある品川区東八潮、そして江東区青海(あおみ)にあるダイバーシティ東京プラザ、日本科学未来館、テレコムセンターなどです。
かつては「東京お台場・大江戸温泉物語」もありましたね。
この一帯には、おそらく多くの人にとって『お台場だよね』と感じる場所が沢山あります。ではどこまでがお台場なのでしょうか。
結論、ここで言われる「お台場」を厳密に定義することは難しいです。
それでもニュースや観光サイトを拾い上げていくと、お台場と呼んで違和感が少ないのはこの範囲のようです。
とはいえ、黄色い範囲以外にも"お台場"の名称は散見されます。
古くは一帯が13号埋立地として造成された後の1970年代に、青海ふ頭に出来た「お台場ライナーふ頭」もそのひとつです。
元々街の呼び名を指して「お台場」が定着した背景には、2000年代にお台場カジノ構想が世間を賑わせたことがきっかけとも書かれています。お台場の範囲について大きな議論なく受け入れられていったこと自体、ある意味この街らしさなのかもしれません。
そんな訳で、ここまで広い範囲となれば、殆どの人は施設名や目的地に応じて「お台場のどこにする~?」と示し合わせて出会うことになるでしょう。
街を指す名称としてのお台場 ・・・ 台場・青海・有明の総称
臨海副都心には、進出する事業者や東京都の関連局で構成される「臨海副都心まちづくり協議会」があります。
そのPR動画では、お台場は「台場・青海・有明の総称として」と表現されています。
(地味にハブられている船の科学館と潮風公園を擁する品川区東八潮は…)
そういうわけで、今まで述べた定義を含めて全体をお台場と呼ぶ定義もあります。字面通り受け取れば臨海副都心の総称をお台場と指すように解釈出来ますが、もっとも、とりわけタワーマンション街として人気を博している有明北地区ではお台場よりは「有明」の方が実感ある呼び名ではないかと考えられます。
また、有明ガーデンのようにはまちづくり協議会には参加していない施設もあります。
臨海副都心の公式愛称 ・・・ 「お台場」以外の名称
ここまで様々な「お台場」の範囲を取り上げてみました。
そもそもこの街には臨海副都心以外の正式名称はないのか?
もちろん、存在します。
「東京テレポートタウン」と「レインボータウン」です。
東京テレポートタウン
臨海副都心開発が始まる前に公募で決まった名称です。副都心開発が順調に進んでいれば、おそらく今でもこの名称が使われていたことでしょう。
しかし世界都市博覧会の中止を含めた開発見直しによって事実上消えてしまい、現在はりんかい線の駅名や法人名として名を留めるのみとなりました。
詳しく読みたい方は下記などが参考になります。
現在でもレインボーブリッジの古い看板などで見かけます。
レインボータウン
開発見直し後に公募で付けられた名称です。察しの通りレインボーブリッジなどをイメージとしていたようです。
しかし、先述の通り実質的にはお台場が定着している状態です。現在もレインボータウンの名前を見たい場合は、フジテレビ本社前の看板で見かけられます。
おわりに:ゆるゆるでも許される「お台場」の範囲こそ、お台場らしさかも
お台場の観光サイトの広告には、「みんなの遊び場、お台場。」と書かれています。
個人的には結構本質を突いていると思いまして、多くの人にとってお台場は目的があって訪れ、それぞれの帰路につく場所であるように思います。
かたや街としての歴史は三十年程度に過ぎず、有明北地区を除けば居住人口も少ないです。これが一般的な街であれば、どこまでが「お台場」であるか論争になっていたように思います。でもこの街では、そのような大論争は巻き起こらなかったように見えます。
ある意味、曖昧な使い方が許されていることこそ、臨海副都心らしいことなのかもしれません。
というわけで、今回は「お台場」ってどこまでがお台場なんだという話でした。
答えは複数あります。
なのであなたがお台場と思った場所がお台場です。
でも、人と話すときは場所は握っておきましょう。
次回予告:2024年8月26日(月)
レインボーブリッジ開通日に、夢と現実の話。
※開通日に合わせて金曜日から月曜日に前倒し公開となります。
過去の記事はマガジンからご覧下さい。
参考:お台場オブジェ・モニュメントマップ
掲載情報のダイジェストやマップはホームページにまとめています。
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