おもしろき こともなき世も おもしろく
はじめに
幕末の長州(現在の山口県)藩士高杉晋作の辞世の句とされるものとして以下が有名です。
私なりに現代語訳するとすれば、「面白くないこの世だけれども、それをどう面白くするのかは己の心構え次第だ」という感じでしょうか。自分の心構え次第という点は非常に共感していて、子供の頃からとても好きな一句です。
ただ、この有名な一句ですが、下の句は高杉晋作と交流のあった僧、野村望東尼(のむら ぼうとうに)が創作・追記したと言われています。
これを知ったのは最近で、別人の創作だったのかとショックでした。しかし、短く・苛烈に生きた高杉晋作にしてはスマートすぎる一句であったため、不思議と納得できました。
下の句は他人の創作であるのなら、私も下の句を創作してみよう。そう考え、筆を執りました。今回は高杉について語り、高杉のことを考えながら、下の句を創作してみようと思います!
私なら下の句は何を足すだろうか
私と高杉の出会い・イメージについて
私が高杉晋作を知ったのは不登校となっていた頃に図書館で触れた池宮彰一郎先生の「高杉晋作」という小説でした。
この小説では、高杉は同時代で有名な坂本龍馬と比較すると、藩内では上位の立場でありながら、目的のためなら常識からかけ離れた策を実行する奇才として描かれていました。松下村塾という藩内有数の学問所で吉田松陰に師事し、長州藩とイギリスの戦争(馬関戦争)の頃には、身分にとらわれない軍隊「奇兵隊」を組織しました。また、その戦争末期には長州代表として、イギリスとの交渉役などで華々しく活躍しました。その一方、常習的な脱藩騒動を繰り返し、処分を受けるなど逸脱行動も目立つ不思議な側面も描かれています。
高杉は何を考えていただろうか
今となっては彼が何を考えていたのかわかりません。ただ時勢柄、外国の脅威にされされており、国を守るために何か成さなければという焦燥感があったと推察されます。蛤御門の変(禁門の変)や馬関戦争、幕府による長州征伐という逆風の中で自身の所属する長州藩、ひいては天皇家を守るという尊王攘夷思想を結実させるのに必死だったと推察されます。
そのような苦しい状況の中で希望を見出し、道を切り開く意思が辞世とされる上の句に感じます。冒頭の「おもしろく こともなき世を おもしろく」という一節はそういうものだったと思います。
私が高杉の立場であったなら、下の句はなんとするだろう
長々と高杉晋作のイメージを語ってまいりました。それらを通して、高杉晋作という人間は、苦しい状況の中でも活路を求めて行動し、何らかの希望を見出すような人間だったと私は思います。
それらのイメージを素に、私が付け足す下の句は以下のとおりです。
「変えることこそ 我の楽しみ」
高杉はぶつかってきた苦境を放置して受け入れず、その苦境を楽しみながもら世の中を笑って生きていく。諦めることなく苦しさを抱えながらも我武者羅に藻掻いて笑って最期を迎える、そんな生き方を目指したのではないかと想像しました。
おわりに
私が創作した下の句を、上の句につなげると以下のようになりました。
私のイメージする高杉は、困難な状況においても、それを笑い飛ばしながら突き進んでいく、そんな人間だったと想像します。私もそのように生きたいという意思表示として、上記のような下の句を考えました。
これをもって、本日の文章はおしまいです。本日もありがとうございました。また、よろしくお願いします!
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