図と言葉で説き明かす
ずっとメモを取ることが苦手だった。
自分のこの汚い字が気になって、メモが進まない。
途中まで書いた文章の形や構成などが気になって次に進まない。
そんなところで几帳面?
ノートを最初から最後まで使えない。
むだなところで几帳面(、、、というのか?)だった僕は、
いつもノートに途中で飽きて、最後までノートを使い切ることはごく稀。
ノートを書いている途中から清書のためのノートを書き始めて、
そしてそれが2つから3つへ。
綺麗に書くことはそんなにいいことなのか?
一度書いてしまったものを清書することにそこまでの意味はない。
と思ってる。
ただ、自分が満足するまで綺麗に書いてみたかった。
そんなことに時間を費やすこの行動に蹴りがつけられず、その悪い癖は結局大学生活の最後まで続いた。
社会人になっても、自分のノートやメモ帳が最後まで使えず、
途中で飽きて次のノートを使い出すことが何回もあり、
そんなこんなで家には溜まったノートの山。
意味がないと気づいていても、やめられないことはたくさんある。
出会ったのはスピーチの練習の時。
文字の情報量には限界がある。
一枚という紙の上に、文字だけで記載するのにはたくさんの文章が必要とされ、また運の悪いことに僕は文章を書くのが苦手だった。
ずっとやっているスピーチの原稿を書く時、
言いたい内容を箇条書きにして原稿の代わりにしていた学生時代、
それではだいぶ限界がきていた。
あるときから、一旦文章にすることをやめ、紙に書く内容を少なくしてみた。
箇条書きから単語の羅列へ。
しかしそれで足りない時に、自然と絵がで始めた。
初めは記号の羅列、それから矢印。
はじめてのその試みは、失敗に終わった。
いくつかの箇条書きと単語と矢印の連続、
矢印で捕捉されかろうじて読むことはできたものの、
スピーチ中に使うには見辛く、使い勝手も悪い。
単語だけに補正してみても、結果はほとんど変わらなかった。
試行錯誤の末、いつのまにか文章と絵をセットにして書くようになって、
それを使ってだいぶ立った時、初めてグラレコというものに出会った。
自分がみたものは最初は絵と単語を合わせたものだったが、
すぐにそれらと文章を混ぜ始め、自分のお気に入りの原稿の書き方となった。
少しずつ上手になるために、たくさん練習した。
そして朝渋グラレコ部へ。
他の人のグラレコも時々見るようにしてから、
いいなと思う表現は少しずつ自分のものに取り入れていった。
だいぶよくなったと思うものもいくつか。
今回のグラレコ部では、いくつかのお題をもらい、
それらに応じて練習をするようにした。
なかなかに面白い。
自分の中に湧き出る創作意欲から、いくつかスピーチまで考えつくことができた。
せっかくなので今回の最高傑作を載せておく。
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