来週はもう少しだけ楽になる
友人のご主人が亡くなったと聞き、お参りに伺いました。
私が夫を亡くした時、
人づてにそのことを聞いた友人は
心配して供花を抱えて家まで来てくれました。
あの時の彼女の顔が思い出されました。
1年ぶりに会った友人は
やはり疲れている様子で
体調もよくないとのこと。
ただ、私に会いたかった、
電話しようかと思っていたとのことでした。
このいまの辛さを、
夫を亡くしたという同じ立場の私が
どう乗り越えたのか知りたかったと
弱々しくも話していました。
実際 その死を乗り越えてもいないし、
まだ感情の上がり下がりもあります。
それは彼女も充分承知の上でのことです。
心療内科でもらっているお薬が効いているらしく
彼女は少し饒舌でした。
ご主人の亡くなるまでの様子
いまの気持ち
仕事のこと、家族のこと
とりとめのない話をひたすら聞いていました。
あの時(私の夫が亡くなったとき)のあなたの気持ちが、今すごくよくわかる。
そしてあんな言葉しかかけられなくてごめんなさいと。
あなた(私)は私にお悔やみは言わなかった。
ただ身体のことを心配し、大変だったねと言ってくれた。
それはあなたが(気持ちを)わかっているから。
彼女の気持ちがわかるなんておこがましいけれど
私も夫が亡くなった時には
お悔やみは聞き飽きていた、
というより返す言葉に窮したし、
人から「大丈夫?」と聞かれると、
それが大丈夫ではなくても
"大丈夫”としか、返しようがなかった。
だから、
人に大丈夫?という聞きかたは
控えようと思った。
ほかにも
この言葉が適切かどうかは分からないけれど、
私が呪文のように繰り返していた言葉がある。
いまはこんなに辛いけれど
「来週になれば、もう少し楽になっている」
震災や事件や事故で家族を亡くした方の辛さよりは「私の辛さはずっとマシ」
何度 この言葉を繰り返したことか
今でも不意にそう呟くことがある。
そのことを彼女に伝えると
その言葉は魔法だわ、
それを聞けただけでも良かった。
私もそうするわと言ってくれた。
出来ればみんな辛い経験はしたくないし
しないに越したことはないけれど、
あんなに暗く重く苦しい日々でも
その経験で得た感情が、
誰かの役に立てたなら
それはひとつの「経験」になったのかもしれない。