いつもありがとう、でもうるせぇ。
また言われてしまった。
「お母さんの出産が近いのを感じ取っているんでしょうね」
…っうるせぇうるせぇっるせぇーーーー!!!
・・・
うるせぇ!!
保育園で娘が絵本を投げ同じ組の子に当たりそうだったので注意したら、入園して以来の大泣きをかましたそうだ。そしてなかなか気持ちが落ち着かず、泣きを落ち着かせながらそのまま入眠したとのこと。
「お母さんの出産が近いのを感じ取っているんでしょうね」「園で甘えられる時間を意識してつくろうと思います」
…。
そんなのわかってる
わかってる。そりゃあね、そりゃあ妊娠してない身体であれば、100%注げてますよ。
つわりに始まり、お腹のつっかえや体の重みやだるさやむくみ…睡眠不足息苦しさ、、、はいはい。十分に娘の相手ができてませんよ。甘えさせてあげられてませんよね、そりゃそうですよね。だから不安定ですよね、はいはいおっしゃる通りでございますうぅーー!!!!!
そんな感じですっかりケバケバになり、担任の先生の言葉がチクチク引っかかってしまう。親として足りてないと言われた気がした。
…そういえば週末寒くなるってね。そろそろニット着れるかな。
教育者として
教育者としては、「原因はコレ」と決めつけてしまうことで、支援の視野を狭めてしまうのではないのだろうか。問い続ける姿勢。こうではないか…いやこうかもしれない…いや待てよこの可能性も、、、そういうある種研究の要素というか、、、もちろん見立ては大事だが、それを過信しすぎずにあらゆる方向性から検証し働きかける姿勢。そういうものが大切だと真に思う。
そういう信念コミコミで、あの連絡帳の言葉にガルガルしてしまうのだ。
そう、私は辞めてしまったが教師をやってたりなんだりしたから志だけは一丁前の厚着タイプなんだワン。こりゃ当分ニット要らずですワン。
でも相手は教育者ではない。
そう、保育者であって教育者でない。と諦めるしかない。私にとって諦めとは、若干の見放しのような、相手に対して失礼な意を含んでしまうのだけども、致し方がないと思うほかない。そう、ないないない、恋じゃない、、、ないない……愛じゃない、ないないないもう止まらない。
迷いながら
ずっと迷いながら進んでいる。
2人目の移植だって保育園に申し込むときだって地元に帰るときも娘にあげるご飯だって寝室に行くタイミングだって今日の微笑みとか、今日着せる服も長袖か半袖かだって、着せたら着せたで寒くないか暑くないかとか、迷い気になっている。
自分が迷ったこと、、、そしてまだジュクジュクのところをツンとされたもんだからイテテテテとなっている。
感謝している。
いつもありがとう、ただうるせぇ、というのが今日の気分。
・・・おしまい・・・
おまけ。
「家では感情が爆発することはよくあります。その都度気持ちの切り替えなど一緒に試行錯誤しています。臨月に入り週5日間保育園にお世話になっているので、少し遠慮がなくなってきているのかもと思いました」
嫌味っぽいかな?と夫に尋ねると、嫌味の極みみたいな文章を提案してきたので、私のはいい塩梅かなぁと安心して書くことができた。
愚痴っぽくなったのに最後まで読んでくれてありがと。いつもありがと。