「ing」への過剰な期待
先日、うちの妻とお義母さんが何やら話し込んでいるのが聞こえました。
耳をそばだてるも、いまいち聞こえない。
何を打ち合わせているのか、もしくは愚痴っているのか。
立場の弱い居候身分の私としては、大変気になる。
落ち着いた頃を見計らって、「何を話してたの?」と聞いてみました。
すると、、、
「長男が、開成中学校に通うのが良いか、麻布中学校に通うのが良いか、それで議論をしていた」のだそう。
聞けば、義母は、なんとなくイメージが良いってことで、麻布中学派
妻は、「家から近いし、東大にも近い」ってことで、開成中学派
なんだという。
お義母さんは、「でも、麻布中も、東大の合格率は高いらしいよ」と反論したんだとか。
うちの子どもは、まだ4歳(あと1週間で5歳)。
おしっこを便器に撒き散らす、ただのアホである。
長男にありがちな話とはいえ、期待が重すぎる。
私が若干ひいた表情を浮かべると、妻は何を勘違いしたか、「まぁでも男子校ってのも、なんか嫌だよね・・・」と呟いた。
さて、最近、
「ソーシャルディスタンシング」
という言葉を目にする機会が増えてきました。
あれ、「ソーシャルディスタンス」じゃなかったっけ?
いつ、「ing」が付いたのかしら。。。
と思って調べますと、こういうことらしい
「ソーシャルディスタンス」
:もともとは、社会学用語で、「心理的な意味での」距離を指す場合が多い。
言い換えるなら、「パーソナルスペース」みたいに。
当初は、この用語が感染症予防対策として使用されているときもあったが、現在は、区別するためにも、
「ソーシャルディスタンシング」という言い方が比較的「正しい」
知らんかったぜ。
ちなみに、訳語は、
ソーシャルディスタンス → 社会的距離
ソーシャルディスタンシング → 社会距離拡大戦略
らしく・・・。
「イング」をつけることで、「拡大戦略」というニュアンスが付与されるとは、日本語ってのは便利なような七面倒臭いような。
「ing」に期待し過ぎである。
「お気楽ing」に、暮らしていきたい。
追伸
ソーシャルディスタンシング
だと、なんか冷たくないか?
距離を開けるのは、「身体的に」であって、「精神的には」寄り添っていこーよ、ってことで、
フィジカルディスタンシング
と言い換える動きもあるらしい。
こうなってくると、新しい単語をはやらせるごとに、儲ける連中がいて、そいつらの陰謀に違いない。
人を煙に巻く専門用語が増えることは、煙に巻きたい私としてはありっちゃありだが、なんかめんどい。
参考)