ガッキーが結婚した・・・
ガッキーが結婚した。
コロナはいまだに流行っていて、緊急事態宣言は延長され、中東では争いが激化し、オリンピックは判然とせず、大谷が相変わらずホームランを打って、田村正和が亡くなり・・・
ガッキーが結婚した。
激動の時代である。勘弁してほしい。
私が同時に想いを馳せることができる項目は、ZIPで紹介されるニュースの数より少ない。
ほんとに勘弁してほしい。
ニュースに触れた瞬間、「うおまじか」と驚きのあまり声が出てしまった。
その後、そうかあの二人が・・・と祝福の笑みが、あやうくこぼれるところだった。
よくよく考えれば、何もめでたくない。
一口目だけ美味いラーメンみたいなもので、
最初は、「おお!美味いかも!」と思ってみたものの、
よくよく考えるうち、食べ進めるうちに、
ただただ塩気やニンニクが効いているだけで、実はそんなに美味しくないかも。最終的には胃もたれしちゃいそう・・・もうラーメン食べるのやめよかな。
そんな感じである。
私が、ガッキーを認識したのは、長瀬智也主演の「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」からで、あんときのガッキーは、国宝級に可愛かった。
皆さんも、日本男児であるならば、「私とガッキー」というテーマで、一家言お持ちなんじゃないでしょうか。
ルックスの可愛さはおいといて、ガッキーの特異性とは。
「テンションが高くて明るい女子」という役柄は、私が知る限りない。
いつも、なにか諦めているような、どうしようもない事件・事故に立ち向かうかもしれないけれど、自分の非力さを認識しているような、そんな役柄な気がする。
それに加えて、本人が、自分のプライベートを語ることもそんなに多くなかった。
いや、正確には、「楽しそうに」語ること、だろうか。
一日中、外には出なくて、家でゴロゴロしてますとか
友達とごはんは食べに行くけど、そんなに数は多くないとか
沖縄に帰った時は地元の友達となんのかんのとか
ゲームを語る本田翼みたいに、ガッキーが何かに前のめりで話しているところ、みたことない。
どうも、本人は人見知りで引っ込み思案で、目立ちたくない、控えめな性格らしい。
そんな女優いないだろ。と、いつもなら思うところだが、ガッキーならそうなんだろうと思ってた。
だから、私含め多くの日本男児は、ガッキーに、勝手に自分の理想を投影しだす。
自分といるときだけ楽しんでるガッキーってのを、心の中に築き出す。
俺はそんなことしてない、とか眠たいこと言ってるあなた。
やってるんです。
「片付けできない女、苦手なんですよね」「趣味がない、、、」「酒が飲めない、、、」よくある、「こんな女性は苦手だ」話、
「じゃあ、ガッキーでも無理なの?」という問いに、「無理です」と言ってるやつ、見たことない。
「ガッキーなら、全く問題ない」この一択である。
ガッキーってのは、勝手に自分の理想を押し付けても、「理想負け」しない存在であり、そういう意味では、一人の現実の女性というより、「概念上の存在」に近い。
神様仏様が、絵画では「光」「後光」で表現されるように、美女といったらガッキー、神様お天道様ガッキーみたいな抽象的代名詞。
それが、結婚ですか・・・。
個人的に気に食わないのが、各種ニュースのタイトル。
「新垣結衣・星野源、結婚」
「星野源・ガッキー、結婚へ」
並列表記である。
「限られた文字数で」「惹きつける」ことが必要なニュースタイトルで、並列表記。
「ガッキー、結婚」
「ガッキー、40代マルチタレントと結婚」
じゃない。
ご存知ガッキーが、ご存知星野源と結婚するよ
お似合いの二人だよ
という感じがビンビンに伝わってくる。
不愉快極まりない。祝福ハラスメントである。
あのガッキーが、、、よりによって、世俗に塗れた星野源と、、、。
よりにもよって、星野源。
夕陽が綺麗だとか、近所からカレーの匂いがするとか、そんなちっちゃな幸せを噛み締めて生きてこーよ的な歌を作ってたくせに。そりゃないぜ。
でも、ガッキーも自分がアイコンとして見られていることに思いがあったからこそ、世俗に塗れた星野源を選んだということなのか、羨ましいぞ星野源というか、僕もギターとか始めようかなとか、考えがまとまらないし、文章もまとまりません。
とりあえず、仕事します。
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