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人間が生きる意味

生物として生きる意味とはなんだろう。
私は生物は子孫繁栄のために生きていると思う。
だからこそ本能として性欲があり、子孫を残そうとする。
しかし人間は子孫繁栄を積極的にしなくても生きていくことができる生物になってしまった。
どちらかというと子孫繁栄をすることが難しくなってしまった。責任や経済的問題等が絡み合って人間にとって子孫を残すことのハードルは高くなった。
つまり子孫繁栄をしなくても生きて良い状態でも特に問題ないということになり、生物としての生きている意味が無くなってしまったということだ。
幸いなことに人間には子孫繁栄以外にもやりたいことができる生物であるため、やりたいことがその人にあればそれを目的として生きていくことができる。
しかしやりたいこと、成し遂げたいこと、夢などがない人間は生きている意味はないのだ。


人間は賢くなりすぎた。
他の生物と違う点は知能指数が高いことによって持っている理性によっての引き起こされる本能の抑圧、自害行為。
知能指数が高いことで生物としての本質を失い、社会という集団の利益を最優先してしまうようになってしまった。

極端な話、知能指数が低ければ低いほど本能を抑圧する理性は機能しなくなり、結果として子孫繁栄する行為が盛んになる。

そう。知能指数と出生率には相関関係があるといえる。

なぜ日本は子供の出生率が低いのか。
個人的意見としては経済的に難しいとかじゃなくて教養や頭の良さ、つまり知能指数によるものだと思う。

なぜならDQNや知能指数の低い若者などは早くから子供を沢山産む傾向にあるからだ。
また教育の行き届いてない国、アフリカなども人口爆発している。
アメリカやヨーロッパも日本のように上から下まで教育が行き届いているわけではないから(日本も完璧ではないが)日本よりも出生率は高い。

知能指数が高いと子供を作るという行為はデメリットしかないように思えてしまうからだと思う。
子供を産むということは時間、お金、責任、多くの負担を強いられることになる。
知能指数が低ければそのような諸問題よりも本能的な子孫繁栄をしていくという行動に突き動かされ、子供を産まないという選択はしない。

頭が良くなりすぎると生物は馬鹿になるという事なのだろう。
生物一個体はその種の一部なのだからその種の存続や繁栄のために動くようにプログラム(本能)されているはずなのだが、頭が良くなりすぎるとそのプログラムを抑えつけて種としてではなく一個体の自己利益のために行動する個体が増えていく。

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