星のひかり
この絵の具には星が混ざっているのだよ、と、旦那様は仰います。
お手元はキャンバスで隠れているので、肝心の、星が混ざっているという絵の具は私からは見えません。だから私は、どんな色なのだろう、と想像してみるほかないのです。冬の夜空のような色かしら。夏の井戸水のような色かしら。
暖炉の火の近くで只々座って旦那様の方を見つめていると、ついつい居眠りをしてしまいそうになる。だから私は、一心に想像するのです。星が混ざっているという絵の具は、いったいどんな色をしているのだろう。秋の畑に落ちる影のような色かしら。春の夜に吹く風のような色かしら。パチパチと、暖炉の中で薪がはぜる音がします。今は昼間で、窓からは陽が差し込んでおり、ここはとてもあたたかい。ささくれ、油絵の具に汚れた床には日溜まりができて、ほこりっぽいにおいがします。なのになぜか旦那様が座っておられる場所は、暗がりに呑まれてまるで影の国のようです。旦那様は近ごろ、お痩せになりました。やや落ちくぼんだ瞼の下で、こちらを見据える眼だけが爛々と光って、私はいつも、少しだけおそろしい。
けれどもこうしてイーゼルの前に座っている間、他の仕事をしなくてよいのはとてもありがたいことです。私の分までそれをこなしてくれる、朋輩たちに対してはちょっと気が咎めるけれど。
身を切るようなつめたさの井戸水も、汚れたシーツの山も、青い芽を出しかけた玉ねぎのつんとする臭いも、この静かな部屋にはありません。
それに、この仕事を始める前の身支度を、私はとても気に入っています。
まず取り出すのは奥様が娘時代に着ていらしたという、真っ白でぱりっとしたブラウスと鮮やかな黄色い上着。少し古風な意匠ではありますが、どちらも私がふだん身に着けているような、色あせて毛羽立った一揃いとは雲泥の差がある品物で、手に取るだけで気持ちが浮き立ちます。
着替えたら髪を櫛けずり、手に取るのは同じく黄色いターバンです。一見何の変哲もない長い布だけれど、遠い東の国から来た商人をまねて頭に巻き、大きなガラス玉の耳飾りをつけるとあら不思議。ただの町娘とは一味違う、おしゃれなご令嬢にでもなったかのような気持になるのです。
午後の窓辺にできる日溜まりのような、あたたかな黄色。それを身に着けた娘を描くのに、星が混ざっている絵の具を使うというのは、どういうわけなのでしょう。この衣装はどちらかというと、太陽に似ているのではないかしらん。
けれどもそんな疑問を口にすることは許されません。このお務めの間に私が少しでも身じろぎすると、旦那様はとても怖いお顔をなさるのですから。
半日ひたすら座り続けたのちに待っているのは、いつもの、召使としての仕事です。ずっと同じ姿勢をしていたせいで、身体はすっかりこわばっています。肩や腰をさすりながらも忙しく夕食の準備と給仕をし、残飯を犬にやろうと戸を開けると、外はもうとっぷりと暮れておりました。頭上にひかる星はどれもちらちらと鋭くまたたいていて、昼間着ていたあの上着や、ターバンの雰囲気とはやっぱり似ても似つきません。どちらかというと――ああ、もっと似ているものを、私は確かに知っているはずなのに。それが何なのか、この疲れた身体ではどうしても思い出せません。
そんな暮らしをしばらく続けた、ある日の夕方のことです。キャンバスの前でずっと顰め面をしていた旦那様が、ふいにぐーんと伸びをして。今まで見たことのないような晴れやかなお顔で、私を手招きしました。
請われるがままにイーゼルに近づいて、旦那様のお手元をのぞき込み――私はその理由を理解しました。絵が完成したのです。
まずこみあげてきた感情は、うぬぼれでした。キャンバスの中に描かれた娘の頬はふっくらとまろく、陶器のようなすべらかさ。薄くひらいた唇は桜桃のようにつややかで、おまけにその眼ときたら! 濡れたような光を湛えてきらめく黒々とした瞳は、まるで朝摘んだばかりの黒葡萄です。
私は人から、こんなにきれいな娘に見えているのかしら。そう思って浮かれかけた次の瞬間、ある違和感に気づきました。私が身につけているターバンは、上着と同じ明るい黄色です。けれど絵の中の私の頭に巻かれているのは、青色のターバン。
それに――。
こんな美しい色の布なんて、はたしてこの世に存在するのでしょうか。
そう思ってしまうくらいに、それは深く、あざやかな青でした。まるで、教会にかかっている絵の中で聖母さまがつけている衣のような、高貴さをたたえた青。そう、これは天上の色です。冬、まだ暗い時間帯に起きだして水を汲みにいくときに、ほんのひと時だけ見える空の色。昼間の青とも真夜中の藍とも違う、夜明け前、まだ天がかろうじて星のひかりを宿している時間帯の、紺青の空の色。その美しい青の近くに描かれているせいでしょうか、なんの変哲もないガラスの耳飾りさえ、ほんものの真珠のように上品な光沢を帯びているのです。
これはいったい、と見上げた私に向かって、旦那様はこともなげに仰いました。
「だって、このほうが美しいだろう」
この方の手は、描くものすべて、最も美しい状態に変えてしまうのだ。私は悟りました。田舎娘の野暮ったい頬は陶器の膚に。安物のガラス玉は大粒の真珠に。
ああ、旦那様、なんて憎らしいことをなさるのです。さきほど抱いたうぬぼれが気恥ずかしいあまり、心のなかでそう詰ろうとしても、キャンバスの上の青が美しすぎてどうにもうまくいかず、私はただ、言葉をなくしてその色を見つめ続けたのでした。
かくも平凡な娘である私のところにも、やがて縁談が舞い込んできて――夫となる人の郷里へ旅立つ日、私は彼にひとつだけ我儘を申しました。
今、私の指に光る指輪には、深い深い青色の小さな宝石が嵌まっています。海を越え、遠い国からやってきた、美しい名前の石です。
あの絵を目にした数日後、画材商へのお遣いを命じられたのは幸運なことでした。あの青色の絵の具はこの石を砕いて作られるのだと教えてくれた、愛想なしの店主には感謝しています。
せっかくの宝物が汚れたり欠けたりしては困るので、日中、家事や野良仕事をするときには指輪はつけられません。だからこうして眠る前のひと時だけ取り出しては指に嵌め、ランプの明かりに透かすのが、夜ごとの愉しみとなりました。
やんごとない方がたが身に着けるきらびやかな細工とは比べ物にもならない、ささやかな宝石。けれどその色は間違いなく、あの日見た青です。あざやかな紺青の肌には細かな金色のひかりがちらちらときらめいて、確かにそれは、星空のようなのでした。
指輪を嵌めた手をひらひらと動かしては、ひとつでも多くの星を見出そうとするたびに、私は旦那様の眼差しを思い出します。
あの冬の日、部屋の隅の暗がりで、その瞬間の世界でいちばん美しいものを見出そうとするように爛々と輝いていた――つめたく透き通った、星のひかりを帯びた瞳を。
所属しているメンバーシップ「書く部」のお題企画「なりきって書いてみよう」にあやかって、大好きな絵のモデルになりきって書いてみました。むずかしかったけど楽しかった!
ラピスラズリはいくつかの鉱物の混合物で、顔料をつくるときはその中から青いものだけを抽出するそうです。
なので実際のところは「星が混ざって」はいないようなのですが、もし混ざっていたらよりロマンティックだよなあ……と思ったところから始まった妄想でした(画材としては質が落ちてしまうのでしょうが……)。