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感謝の気持ちと日々のきじ

4月1日が土曜日のおかげで、年度が変わってもまだ学生気分です。今日を含めたこの2日間は、学生としての最後の休日。うんとダラダラしてやりました。

私がお世話になった方に、不器用ながら気持ちを伝えてみました。やっぱり私は、自分の思いを伝えるのが下手くそなもので。だからあれも言いたいこれも言いたいと、ただただ膨らむ文章を抑えて短くしました。有難いことに皆さんからお返事を頂きました。このメッセージは家宝にしたいと思います。

それは周囲の目線であったり、自分の心の内側であったり、いつもどこかで私を縛り付けます。偏見とは少し違う、もっと身近で、たちが悪くて、頭で考えるよりも先に訪れる。伝わりにくくて、伝えづらくて、分かりにくい。ただ、どこからともなく現れるその不快感が苦手で仕方がなかった。無理に抗おうとして、振り払おうとして、結局本来の道から外れてばかり。元の道には戻れません。今歩いている道を本来の道だと思い込んでいるから。恵まれた環境にいる。いるはずなのに、なのにどうして、しっくりこないのでしょうか。時々、自分が理由なく否定される気がして、間違っている気がして、許されない気がして、自分が自分じゃない感じがします。
写真をやる上でも、音楽をやる上でも、日常を過ごす中でも、「〇〇らしさ」というものが付きまとっていました。「〇〇すべき」も一緒に引き連れて。色んな情報が手に入る中で、自分のことが分からなくなっていたのかな、と思います。私は私らしく、自分らしく過ごしたい。

少し知り合えば浸るほど仲良くなりたいと思ってしまいます。適切な距離というのが分かりません。会えば会うほど仲良くなりたいと思うし、もっと会いたいと感じます。逆に少し会わなくなると、それはそれはとてつもない距離を感じます。勝手に感じているだけですし、それで勝手に自ら離れていくんですから、迷惑な話です。
第三の居場所。家族でも、学校や職場でも無い、そんな場所。居場所。久しぶりにあの方の言葉を聞いて、なんだかハッとしました。私は人間関係について、そして友達って言葉を少し勘違いしていた見たいです。もっと気楽に生きてみようと、そう感じました。

好きなアーティストは?と聞かれると、いつも悩みます。私にはどうしても好きな方が3人もいます。MOROHA、日食なつこ、そしてもう1人。後輩を車に乗せた時、たまたまこの人の歌が流れて、とても気に入ってくれた。それが嬉しくて仕方がなかった。遠い存在のようで、どこか傍にいてくれる、そんな歌を歌う人。私は私なりに、臆病で不器用な自分の日々を、これからも紡げる人になりたい。

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