60歳からの古本屋開業 第1章 激安物件探索ツアー(6)2万円の現実
登場人物
赤羽修介(あかば・しゅうすけ) 赤羽氏。元出版社勤務のおやじ
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ
キース 不動産屋案内係
悪魔の交渉
ここを書庫にしたら、当然だが発送作業などもここですることになる。もちろん、いつも赤羽氏と二人で来るというわけにもいかない。一人で夜に作業ということも当然あり得るわけで。
考えただけで恐ろしい。だいたい夜に来るのが嫌な作業場っておかしいでしょ。なんてことを心の中でぐるぐると考えている。
「あの、書庫に使うだけなんでリフォームなんて不要となったら、家賃は、いくらくらいですかね。月に1万5000円かな~」
赤羽氏が強烈なジャブをかます。なんてこの人はタフなハートの持ち主なのであろう。もう付き合いは30年を超えるが、初めて見る表情。新鮮な発見である。
「1万5000円はちょっと。まあ、うちの社長とここの家主さんが知り合いなので、安く借りられる方向での交渉はできると思いますが」
「本当は、家賃いくらなんですか?」
と、もう一度問うが、
「この辺りでは安いと思いますよ」
やはり、はっきりとは答えないキース。
1万5000円はもちろん、2万5000円とも大きな差があるという事なのだろう。もしやこの物件を4万円台、いや5万円台で貸そうとしていたのではないだろうか。まあ、駅から15分の1DK。サッシや窓を開ければ、そこそこ日も当たる部屋なのだが。
「それじゃ、社長さんに家主さんと話していただくということで、よろしくお願いします」
と、赤羽氏からその場の締めのような言葉。
いったんキースとここで別れ、私たちは駅まで歩いてみることにした。
駅までの道
「試しに駅まで歩いて、どのくらいかかるかやってみます。後で店に顔出します」
と、キースに道を教えてもらい、駅に向かって二人でとぼとぼと歩く。
アパートの脇の路地を入っていくと、すぐに川があり、ぱっと風景が明るく開ける。川はきらきら光り、川辺では野鳥が休み、川沿いの公園では親子がキャッチボールをしている姿も見える。もしここに毎日のように通うようになったとしたら、この川辺の風景はさぞかし気持ちよいだろうな、と思える。
だけど、
「なんだか、凄い部屋でしたね」
実際に私の口から出たのはこんな言葉だった。
たった二つの物件を見せてもらっただけなのだが、私は結構なダメージを受けていた。
濡れたような路地。ドロドロの庭。土に汚れた不気味な人形。錆びた手すり、極悪に汚いトイレ、ゴミの廃墟となった風呂、そして湿って腐り果てたような畳。孤独死……。
古く、汚い部屋から受ける精神的なダメージは意外なほど大きかった。古い車や道具なら、どんなにドロドロだろうとこれほどのショックは受けなかったかもしれない。
やはり部屋というのは「そこで暮らす」「そこで寝転がる」、そんな想像をしてしまうからだろうか。
布団を敷く、朝起きる、飯を食う、トイレを使う。これをあの湿ったドロドロの畳の上で行う(実際は取り替えるみたいだけど)ことを、どうしても想像してしまい、それだけで救いのない、すさんだ気持ちになる。
以外にタフな態度であった赤羽氏も、そのあたりの気持ちは同じだったようで、
「これが2万円の現実なんですねー」
と、ちょっとしょげたような言葉が返ってくるのであった。
(つづく)