60歳からの古本屋開業 第8章 先輩からの仕事の話(1)通信教育を開発するのだ。
登場人物
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ
赤羽修介(あかば・しゅうすけ) 赤羽氏。元出版社勤務のおやじ
天才的人たらし。
ある日のこと、私(夏井)が以前働いていた会社の先輩で、現在は自分で事務所を開いている秋山さんから声がかかった。
私が20代中盤に編集プロダクションに入社した件は、このお話の中でも本が大増殖してしまった理由としてご紹介したが、実はその後30代後半になって仕事で知り合った人物とともに会社Aを立ち上げることとなる。
その後、さらに自分個人の会社を作り、Aの仕事をそのままやりながら、個人でも請け負う形で仕事をしていた。
まるで、吉本で人気が出た芸人さんが個人事務所を立ちあげるようなものだが、人気も出ていないのにこんな形になったのは、A社が社会保険の支払いでつぶれそうになったからであった。まあ、その話は置いておき、声をかけてくれた先輩は最初に入った編集プロダクションでの上司だった。
年齢は私より当然上の60代後半。
一緒に働いていた当時から、言い方は悪いが、悪魔的、天才的としか言いようのない「人たらし」で、特に年上のお金も権力もある方々から異様に好かれるという才能の持ち主だった。
その上、企画力が素晴らしい。
そのプレゼンを聞いていると、知らないうちに「凄い」「面白い」と、ふわりと乗せられてしまうようなテクニックと人柄が魅力的な人物だった。
そんな人物ゆえ、会社の上司としての力はない。
部下なんかには興味なし、もっぱら自分の仕事を拡大させていくという一貫した仕事スタイルで、部下である私などは、そのスタイル、やり方を見様見真似、自分で勝手にやらざるを得ない。
今にして思えば、曲がりなりにも自分で仕事ができているその礎を作ってくれた方でもあった。当時は死ぬかと思ったけど。
そんな秋山さんだが、私のことを、自分にはない面白いところもあるやつ、と思ってくれていたらしく、別々の会社で働きだしてからも、事あるごとに仕事や飲み会の声をかけてくれている。
その秋山さんからの久々のお声がけだった。
夏井君、相談に乗ってくれないか?
「夏井君さ、今度、小唄の通信教育を立ち上げようと思っているんだけど、相談に乗ってくれないか」
すでに小唄の協会の会長(ご高齢の偉い方。さすが秋山さん)とは話をつけており、ここの全面協力のもと、通信教育を展開していきたいとのことである。
実は以前から私はこうした企画が大好物で、そろばんや古文書など、以前は日常で普通に使われていたり、人気があったが最近はなかなか苦戦しているというものの復活をお手伝いする仕事をやらせていただいたこともある。
秋山さんにもこうした仕事についてはお話してきたため、声をかけてくれたのだろう。
こうした日本人の大切な文化にもう一度光を当てるという仕事は、なんとも魅力的である。
そしてもう一つ。
「これは古本屋プロジェクトのためにプラスになるのでは?」
という思いだった。
小唄という存在を切り口に、通信教育でその世界を広げていくのはもちろん、その年齢層に向けて情報を発信できるのではないか。
世代的には、ばっちりである。
さらに赤羽氏の力を借りながらこの仕事を軌道に乗せ、月に5万円でも定期的な収入の道が開ければ、それをApple書房の軍資金として活用し、待望の書庫スペースを借りることもできるかもしれない。そんな思いも膨らんだ。
二人で事務所に。
次の週、上野にある秋山さんの事務所に赤羽氏とともに訪ねていった。
「通信教育を立ち上げていく過程で、せっかく協会の方々とも協力できるんであれば、同時にこの小唄の素晴らしい世界を新しい世代に広げていこうではないか。ネットに詳しい方をぜひお連れしたい!」
という願いを伝え、めでたく同行することとなった。
「通信教育の世界には『ドライ調査』というものがあって、事前に、このテーマで人気の講座が成立するかを調査するんですよ。
この小唄を通信教育で学ぶ世代というのは、やはりある程度の年齢の方々ということになります。
これが新聞の購読世代と、ほぼ一致しているわけです。
今回通信教育の主体となる会社は通信教育の老舗で、この新聞広告から始まる通信教育の立ち上げを専門に行ってきた会社です。ここに私の方から提案をし、すでに調査を行いました。モデル地域を絞って新聞に小唄講座の告知を出し、どのくらい資料請求や問い合わせが来るかで判定したのです。
この小唄は非常に反応が良かった!
もうやる前から一定の成功は見えています。これをさらに良くしていくために、教材や広報資料などを作っていくわけです」
秋山さんからのこんな話を皮切りに、魅力的な小唄の世界の話を聞くと、さすがプレゼンの天才、話を聞いている先から小唄の世界がきらきら輝きだし、この通信教育の立ち上げ、さらに新しい世代への拡大戦略を手伝わせてもらえることが何と幸せなことか、これぞ私たちに与えられた使命とまで感じることとなった。
そのあとは事務所の1階にある、ラーメンが旨いのにつまみが豊富すぎてなかなかラーメンが食べられないという素敵なラーメン屋さんに場所を移し、もう「小唄は世界を制する」「日本の文化の象徴だー」とか言いながら、使えそうなものからくだらないものまでアイデア乱発、メモを取りながらネギチャーシューにはじまり、締めのラーメンに至るまで、おじさん色一色に染まった楽しい楽しい焼酎宴会が繰り広げられたのであった。
そして次の週、さらに我が家にて第1回「小唄通信教育企画会議」が開催された。
その折、例の不動産屋の前を通る機会があった。
あの呪いの人形がならぶ2万5千円の部屋は、まだ借り手が決まっていなかった。
※記事上の「小唄の通信教育」というものは実在しません。あるいはまた実在のものとは全く関係ありません。また記事上の「小唄の協会」は実在しません。あるいは実在の団体とは全く関係ありません。
(つづく)