60歳からの古本屋開業 第8章 先輩からの仕事の話(4)企画の行方。
登場人物
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ
赤羽修介(あかば・しゅうすけ) 赤羽氏。元出版社勤務のおやじ
秋山(あきやま)氏 夏井の元上司。天才的人たらし
通信教育企画の結果。
「若者向けの企画ができたんで、お持ちしていいですか?」と連絡を取ったのは、あの企画会議から2か月ほどたった日だった。
「おーごめん、ごめん、連絡しなくて。今週だったら事務所にいるんでいつでもいいよ」
秋山氏からはいつもの調子でlineが返ってくる。
しかし「そろそろ教材作り!」という話には一切触れてこない。
「うーん、これはもしや」
悪い予感が少しだけ頭をよぎる。
さっそく赤羽氏も誘い、秋山氏の事務所を訪れたのだが、やはり待っていたのはあまりよくない話だった。
「あの通教の会社ね、もう新規で通信教育を立ち上げる体力が残っていないみたいなんだ。通常、企画の段階で入会数が予想がつくし、そうなったら教材作りの予算も出て作業に入るわけだけど、その資金さえない状況らしくてね。今うまくいっている通信教育を細々と維持していくのでいっぱいいっぱいみたいなんだよね」
ひどく悲しいコメント。
そうか。まだまだいけると思っていた通信教育の世界も知らないうちにそんな状況になっていたとは。
時代と言ったらそれまでだけど、なんだか悲しい話である。
そうだよな。
そもそも今回の企画も「ネットが不得意のシルバー層」なんてところを対象にしていたけど、考えてみたら、その対象ってもろ自分たちのことである。
20年前に60歳の現状を考えたとしたらネット難民もいたかもしれないが、今自分たちのことを考えてみたらわかる。ネットなんて当たり前の世代なのだ。
会議だってリモートでやっている。私たちより上、70歳代だって、今なら楽勝でネットくらいやっている。そう考えたら、そもそも通信教育自体がもう存在しない層に向けてのものなのかもしれない。
企画をプレゼンしたけど実を結ばない。
そんな話は、これまでも山ほどある。
むしろ、話が進まないのが8~9割。
そう考えれば、今回のボツ話も珍しいものではない。
しかしこれまでの話とは違い、企画はよいけれど、もう実現する力が会社に残っていない、という話は初めてだった。
世の中の状況が、想像以上に変わってしまったのだ。
秋山氏も特に悲壮な感じでもなく、とつとつと喋っているだけに、「ああ、秋山さんも結構残念がってるなー」と、逆に感じられる。
そんな姿を前に、こちらもあまり落胆の姿を見せるわけにもいかない。
でも悲しいなー。残念である。
秋山氏は、せっかく話をつけた協会に対してもお詫びを入れているはずで、そんな状況の中、協会にむけて「新しい世代に向けてPR」なんて話を切り出すわけにもいかないだろう。
まあ、残念と言ってもこちらの被害も作業労力だけ。よい経験であったと片づけることもできる。
しかし、せっかくこんなメンツが集まった会合である。お互い暗い話で終わらせたくないという気持ちも働いたのか、話は電子書籍の今後やら、図書館の電子書籍化やらAIがどこまでできるか、といった多方面で、前向きな話題に広がっていった。
え? カルタ? ひらめいた!
そこでふと私は林立する書棚の中の不思議な一角に目が留まった。
「なんですか、これ?」
話が途切れたタイミングで、そこを指さしながら秋山氏に質問すると、ちょっと意外な返事。
「あー、これカルタ。見てみる? ほら」
秋山氏は、いろいろな形の箱をテーブルの上に無造作に積み上げていく。
カルタの箱には「トヨタ○○カルタ」「日産○○カルタ」「日立○○カルタ」「○○町カルタ」といったタイトルがつけられている。
「これって、全部カルタですか?」
「そうそう、企業や市町村が作るカルタが少し前に流行ったじゃない。これをうちでもやろうと思ってね。企業さんはもちろんだけど、教育にも使えそうだしね。だからちょっと集めてみた。けっこう前の話だけどね」
秋山氏はすでに興味を失った、昔熱中したことのある遊びの話をするような様子。
その時である。とってもナイス(古!)なアイデアが、まるで天から降ってきたように私に頭の中に浮かんだのだった。
それは、
ビートルズ・カルタ。
行けるぞ、行けるぞ、これは行ける。大受けだ!
これはよいアイデアをいただいた。さっそく赤羽氏と相談だ!
ビートルズを題材に、エピソードや思いをカルタにして売る。
出題する方も、札をとる方も大盛り上がりじゃないか!
何より自分が欲しい! これは良い。
通教はとても残念だったけど、なんだかまた面白くなりそうな。そんな不思議な気持ちに包まれながら、その日も事務所ビル一階にあるつまみの美味しいラーメン屋へと場を移すのであった。
※記事上の「小唄の通信教育」というものは実在しません。あるいはまた実在のものとは全く関係ありません。また記事上の「小唄の協会」は実在しません。あるいは実在の団体とは全く関係ありません。
(つづく)