60歳からの古本屋開業 第5章 第1回 Apple書房 最高経営企画会議(3)
登場人物
夏井誠(なつい・まこと) 私。編集者・ライターのおやじ
赤羽修介(あかば・しゅうすけ) 赤羽氏。元出版社勤務のおやじ
酔い気味の赤羽氏、ビートルズを語る。
「ところで赤羽さん、Apple書房なんですから、ネーミングの志を忘れず、ビートルズに関するコンテンツも発信しないといけませんよね」
「そうそう、それなんですよ。やりたいですね、うんうん」
ビートルズという言葉を聞いた途端、赤羽氏は脊髄反射のようにぱっと背筋を伸ばし、まるで眼の光源が蛍光灯からLEDに変わったように光を強め、我が意を得たりと何度もうなずくのであった。
「やはりもう一度私なりにビートルズの成り立ち、というか歴史をですね、ちゃんと振り返りたいと思っているわけです。私なりのビートルズ史をですね、皆さんの読みやすい形で改めて書いていきたいと、こう思っているわけです」
「ふんふん」
もうここは赤羽氏の心の中にカスピ海のように広大に広がるビートルズ愛の湖から流れだす大河のような言葉に耳を傾けるだけである。
だけど、ちょっと酔っ払っているかも。
「あとですね、天才、天才と言われることの多いメンバーなんですが、実はそうじゃない一面だってある。それも含めて愛するのがファンであるわけで。そういうのにも触れたいのです」
「ふむふむ」
ポールには友達がいない。
「例えばですね、ポール。この人は天才のレベルで言えばあのモーツアルトに匹敵すると言える人物です。ビートルズ期の、あの百曲近いの名曲の数々、あれがもう天から降ってきたように湧き出たわけです。イエスタデイなんて夢に見たメロディをもとに作ってしまったわけですから。しかし、しかしですよ。これは誰も指摘していないことなのですが、ポールは、あまりにも音楽の天才であるが故に、だと思うのですが、音楽以外の才能がからっきしです。この事実に私は気づいてしまったわけですね」
「ほーほーほー」
私は小さく拍手しながら、まるでフクロウのような合いの手を入れる。
赤羽氏と私はポールの来日公演には皆勤賞で参戦している。
ポールが、おなかが痛くて帰ってしまったときも、チケットを持って会場近くをうろうろしていたものだ。
そんな赤羽氏のポール評が始まった。
「例えばですね、服の趣味。ポールは最悪です。ビートルズの時はお揃いのビートルズウェアやレット・イット・ビーの屋上コンサートの時などは黒いスーツでごまかされてましたけど、ソロ活動になって誰も服のマネジメントをしなくなってしまったのでしょうか。これがひどい。でかい野球場のような会場に5万人くらい集めた歴史に残るようなコンサートですよ、そのステージ衣装がスラックスにワイシャツですよ。そんなの私だって、いつも着てます。あれがステージ衣装だったら私服はどれだけダサいやら。MJなんて私服で撮影されたのが映画「THIS IS IT」ですからね。私服であの凄いレベルのセンス、豪華さ。あの二人が一緒に仲良く曲出したりしているわけで。打ち合わせなんかに来たポールの服見て、マイケル、びっくりしたんじゃないですかね。そうそうあの東京ドームでのコンサートも凄かったですね。日本人へのサービスのつもりだったんでしょうが、あの日の丸が真ん中についた白Tシャツもひどかった。変な上に似合っていない。日の丸Tシャツが似合う人もいないでしょうけど、レジェンド過ぎて誰も注意できないんでしょうね。コーディネーターとか、いないんですかね」
「わーはははは!」
あまりにも素晴らしいお話を耳にすると、人というのは笑ってしまうものらしい。
「それでですよ、これもみんな気づいていないと思うんですが、実はポールには友達がいないんです」
「ひーひひひひ。苦しー。確かに、なんかそんな感じしますよね」
もう大爆笑である。凄い。
「その点ジョージは、才能はそこそこでしたけど友達が多かった。クラプトンはもちろんだけど、あの亡くなった後の追悼コンサート(コンサート・フォー・ジョージ)なんかすごい人数のミュージシャンが集まってましたものね。ステージの上に何十人も集まって、みんなで『ホワイル・マイギター…』を弾いて。たぶんクラプトンあたりが発起人じゃないかと思うんですが。ジョンの場合、これはヨーコがいたわけだし。でもそういう友達、発起人になりそうな友人や家族がポールにはいないと思うんですよ。もしポールが亡くなってしまったら、誰が追悼コンサートをやってくれるんでしょうか。思い当たる人がいない! リンゴがやるかなー、最近一緒にいること多いみたいだけど。でも友達って感じがしないし、発起人やるタイプでもなさそうだしね」
たしかにポールと親しい人、親しいミュージシャンはこの人、というのが全然浮かばない。
「本当ですよね。そういえばちょっと前にアメリカで『バービー』と『オッペンハイマー』を2本立て、ハシゴして観るというのが流行った時があったじゃないですか。あれね、ポールも観に行ったらしいんですけど、一緒に行ってくれる友達がいなくて、仕方がないからスピルバーグ君を誘って観に行ったらしいですよ」
「うわー、友達いないー。誰も一緒に映画観に行く友達いないから仕方がない。映画に詳しそうなスピルバーグ君誘っちゃおうって、おかしすぎ! 『ねー、映画観に行かない』って電話かけたのかな。どんだけ凄いんだ。アニメ一緒に見に行く友達いないから、宮崎駿を誘うみたいなものですよ。友達いないにもほどがある!」
「ヒー」
苦しい。
ジョージのウクレレ。
「そういえば思い出した!」
もう赤羽氏は止まらない。
「ジョージの追悼コンサートでポールがやった『サムシング』、あれはあんまりだと思いませんか。だってウクレレですよ。ウンチャカ、ウンチャカ、Something in the way she moves♪ ウンチャカ、ウンチャカ。あれはひどい。東京ドームでも何度披露してくれたことか。名曲サムシングが台無しです。がっかり。ポールもねー、人の歌だと思って、ひどいですよねー。たしか昔々、ポールが仲直りするためにジョージの家に遊びに行って、池のほとり(家の敷地内に池あり!)に二人で座って、ポールがウクレレでサムシングを歌ってたという映像があったけど。あれをポールが二人の思い出ってことで演奏した、ということなんでしょうね。ジョージもさ、あの時『ポール、これはいくらなんでもダメ』って言えなかったかなー。言えないかー、流れ上。まあここだけの演奏だし「ま、いっか」なんて諦めたのかな。まさか自分が死んだあと、追悼コンサートでやられるとは思っていなかったでしょうし。そういうとこ、想像力ないんだよねー、ポールは天才過ぎて。ウクレレはジョージの形見だけど、だからって。。。ほら、元々の『サムシング』のベースだって、あれは確かに天才ならではの究極のベースラインだけど、ジョージは『too mach(やりすぎ)』って嫌がってたでしょ。アレンジでぶつかるのは、いつものことだったって、ドキュメント『ゲットバック』を見ればわかるし。ポールとジョージのセンスは、ちょっと違うんですよね。『ザ・ロング・アンド・ワインデング・ロード』のフィル・スペクターのアレンジが気に入らないとポールはずーっと怒っていたけど、ジョンもジョージも『結構、いいんじゃない?』って思っていたと思うし。ジョンはフィル・スペクターをソロアルバムのプロデューサーに起用していますからね。ほら、僕たちってアルバム『レット・イット・ビー』は、最初からフィル・スペクター版しか聞いていないから、僕たちにとっては、あれがオリジナルの『ザ・ロング・アンド・ワインデング・ロード』なんだけど、文句なしの名曲でしょ。ネイキッドでポールがやりたいアレンジ版が発表されたんだけど、あれ、けっこう肩透かしだった。ゲッドバックやヘイ・ジュードをウクレレでジョンとかジョージにやられたらどう?って逆の想像ができないんだよねー、天才過ぎて」
「お葬式でウクレレ、ゲットバック。うわー台無し、ひどい」
やいのやいのとノドが渇く。ウイスキーハイボールをお替りし、幸せ過ぎる最高経営会議の夜はふけていくのだった。
最高経営会議の夜、熱いビートルズ談義の最後。
「こんなに楽しく、いくらでもビートルズの話ができるんだから音声コンテンツにしましょうか」
「Youtubeは僕らにはちょっと荷が重い感じがするんですが、毎回テーマを決めて録音してWebラジオとして配信しますかね」
誰が言い出したか、こんな話も出て、早々と録音日(という名の、私の家での飲み会)まで決めたのであった。
(つづく)
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