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変な人 (1)池袋、幸せの「ヨォーーシ、ヨシ」おやじ

 それはまるで何かの呪文のようだった。

 池袋での飲み会の前に「ちょっと風呂でも」と銭湯に寄った。
(わたし、よくやるんですよ、こういうこと。タオル1本買って、そのままご当地の銭湯に入って、そのあとビールをプハーっと。最高です)
 家の風呂ではちょっと考えられないくらいの熱いお湯に、休憩を取りながら何べんも浸かり、大満足して「さて飲むぞー」と脱衣場で身体を拭いているときのことだった。
 いかにも「現場」を思わせる作業着に、大き目のバックを持った50代半ばの男性が暖簾のれんをくぐってきた。
 腰のすわったタフそうな小太り。肩や背中が盛り上がり、見事な太鼓腹。
 男は空いていた私の三つ横のロッカーを見つけ、一直線に歩み寄る。そして扉を開け、まずは持っていたカバンから着替えを取り出す。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

 男の口から、息が漏れるような、しかし、はっきりとした言葉が聞こえた。
 何か良いことがあったんだろうか。お風呂が嬉しいのかなー。一日の終わりって感じがしていいなー、「ヨォーーシ、ヨシヨシ」か。
 男は大きなカバンから下着を取り出すと、そのカバンをロッカーにぎゅうぎゅうと押し込む。
 そして、ロッカーを閉め、鍵を隣のロッカーに入れる。カバン用と洋服用に別のロッカーを使うつもりらしい。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

再び男の口から、歓喜のタメイキが聞こえる。そして上着を脱ぐ。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

ズボンを脱ぐ。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

シャツを脱ぐ。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

 止まらない。あのクラシックの名曲「ボレロ」を聴いた時のように、私の頭の中がオヤジの「ヨォーーシ、ヨシヨシ!」でいっぱいになってくる。

靴下を片方脱ぐ。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

もう片方を脱ぐ。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

パンツを脱ぐ。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

タオルを手にする。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

浴室の扉を開ける。

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

 この時の「ヨォーーシ、ヨシヨシ!」は、歓喜のフィナーレに向かって少しずつトーンを上げていくように心に響いた。
 私は、感動で胸が熱くなっていた。
 そんなに嬉しいのか。そんなに風呂に入るのが嬉しいのか、ヨォーーシ、ヨシおやじ。きっと銭湯だけではあるまい。おやじの頭には、すでに風呂から始まる完璧なシナリオが出来上がっているに違いない。
 一日の仕事が終わる→銭湯にゆっくり浸かる→馴染の焼きトン屋に行き「瓶ビール、それと煮込み、ヤッコ、カシラとレバー、2本ずつを塩で!」と頼む→即座にキンキンに冷えたビールが来る→間髪を入れず飲む→2杯目飲む→3杯目飲む→つまみ到着する。
 銭湯の暖簾をくぐり、カバンをしまい、靴下を脱ぐのも、そして湯船に浸かるのも、その至福の瞬間へのワンステップ!
 一歩一歩、その瞬間に近づく幸せ。この気持ちをタメイキのような言葉で表現すれば……、

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

しかないではないか!

 それから3日間ほど、私の口からも、なにかにつけて

ヨォーーシ、ヨシヨシ!

という言葉がもれ出たのだった。あ、今でも出てるわ。

(つづく)


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