最近気づいたこと
放蕩息子という話をご存知ですか
私は29歳のころ初めて読みました
これは聖書の中にあるお話のひとつです
ある息子が2人いて
弟の方がお父さんに
先に分け前の予定の財産を
くださいと言います
そのお父さんはなんと、!
わけてくれます
それをぜーんぶお金にして
その弟は旅に出て
放蕩の限りを尽くします
そしてぜーんぶ使い切ったら
大飢饉がきて食べるものもなくなり
その時代汚れた仕事と言われていた
豚のお世話を仕事とすることになり
さらには豚の餌のいなご豆を食べてでも
腹を満たしたいほど飢えましたが
食べ物をくれる人はいませんでした。
そこで、彼は我に帰って言った。
父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。
この時の弟のこの、
切羽詰まって
どーーしようもないこの気持ち
あぁ、、、って絶望で
ものっすごい後悔してる感じも
めっちゃ共感できる
こう言うても許してもらわれへんかも…
でも、もうどうすることもできひん…
みたいなこのやるせなさ
共感できすぎる(笑)
今までいったいどんなことしてきてんって
お思いになるかもしれないけど
ほんとにおわってたなぁと悔い改めが
まだまだ必要な人間です。。。
ここから先は少しでも
まっすぐ歩いていきたいです
(笑)
そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。
弟がもう息子と呼ばれる資格はありません。
と言い終わるまでに
父親は僕達に
服と靴と指輪をつけて
その時最高級の肥えた子牛を
連れてきて食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったからだ。
そして祝宴を始めた。
兄は怒ります。
何年も仕えて、
言いつけに背いたことは一度もありません。
なのに、私が友達と宴会をするために、
子羊一匹すらくれなかったではありませんか。
いや、まじで
お兄ちゃんの気持ちわかりすぎる。
正しいことをしてきた!って思うのに
ずるした人が報われてるように
見えることとかない?
わたしはずーーーっとあった
だから、上手いことやれる人が
ずーっとうらやましかったし
真面目に素直に生きるなんて
ばかのすることやと思ってた
ひねくれすぎてるwwww
でも、本気でそう思ってた
いろんな人に聞いたこともある
あるお坊さんは、そういう人は
そういう人やって周りに思われて死んでいく
…いや、納得できんわ
って思ったなぁ。
そして兄は続ける
あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を連れてきて食べさせておやりになる。
そりゃそう言いたくなるわな〜(笑)
ちょっと意地悪な言い方やなww
めちゃくちゃ気持ちわかる(笑)
だけどお父さんはこういいます
すると、父親は言った。
子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。
私のものは全部お前のものだ。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。
この箇所を読んで
あーーーー
私は特に母親に対してや
周りの大事な人々にも
神様みたいに何事も赦してくれる
おっきぃな愛を求めてたんだなぁと
そしてそのひとたちのことを
試してたんだなぁと納得しまくって。
わかってしまったら
もう戻れなくて
今までずーっと苦しかったけど
ずーっとがんばってきた
よく頑張ったなぁ♡
そしてよく辿り着いた。
誰よりも愛を求めてたし
そしてわたし自身が
いっぱいいっぱいの
重たすぎるくらいの
愛を持ってるんだな〜
このありあまる愛を
ありがたくよろこんで
受け取ってくれる人に
循環していくっきゃないな
と思いましたとさ。
だからこそ人との
境界線を引くのが苦手で
できなかった私でしたが
あ、境界線をひいてもいいんだ
でも、おっきな愛を注いで
喜んでくれる人もいるんだ
ってどっちも学んで
丁度バランスをとっていけそう
わたしはわいわいするのも
だーーーーいすきだけど
ひとりでいるのも
だーーーーいすきで
楽しんでる
大家族に憧れるし
まだ諦めてないけど
ひとり親でいるのも貴重で
実はめちゃくちゃ楽しんでる
不自由の中の自由が
心地よかったなとすら
思うくらいには
いまは何の足枷もなく自由で
寂しさすら感じる日もあるけど
この寂しさが懐かしくなる日が来る
そんな思いもある
だからこの自由を携えて
少しの不自由をも受け容れて
更に幸せになっていくんだと思う
そんな気がするのです♡