「やってみないとわからない」ことは多い
何かを始めようというときに、慎重になることは悪いことではないと思う。
やりたい!→やってみよう、とすぐ行動に起こせる人もいれば、やりたい!→そのためにはどう動けばいいのか?と行動パターンを計算してから動く人もいる。
後者の場合、たとえ慎重になっていても、「目的を成し遂げるために最善のパターンを計算して動く」という、前向きな慎重さだ。
その一方で、慎重に考えると思っていて、「でも」「だって」とつい後回しにしてしまうパターン。これは、後ろ向きな慎重さだと思っている。
「できない理由」「やらない理由」を探して、何かと理由をつけては「できない自分」「やらない自分」を納得させているのだろう。
私にも思い当たる節があるので、苦虫を噛む思いだ。
後ろ向きな慎重さは、時として行動するパワーを奪ってしまう。行動するためのパワーを、自分の保身のために使ってしまう。
やってみないとわからないことを目の前にして、やりたいのにできない理由ばかりを探している時間って本当にもったいない。
だったら、「どうしたらできるようになるか」を考えて、やりたいことをやれるように、力を蓄えておきたいなと思う。
どうせパワーを使うのであれば、前向きな方向へと使っていきたい。
世の中には、「やってみないとわからないこと」だらけなんだから。
人になにを言われようとも、「やりたい」ことの先にある景色を自分で見なきゃ、始まらない。
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