水俣病と公害について
今晩は。へろへろです。もしかしたら極限に疲れているときでも楽しく取り組めるコトが自分に合っているのかもしれませんね。今日は0時を回るまで頑張ってみます(只今21時半)。どうぞよろしくお願いいたします。
水俣病について
さて、皆様は「水俣病」をご存知でしょうか。『苦海浄土』や石牟礼道子など、何処かで聞いたことがあるかもしれませんね。熊本で発生した水俣病とは、高度経済成長期に産業発展の副作用としてもたらされた公害問題です。企業城下町である或る化学工場から排出された水銀が海や川に流れ、それを魚などの海産物が取り込んだあとに高濃度に蓄積し、これを日常的に摂取した人々の間で起こった中毒性の神経疾患です。
1956年5月に水俣病が公式に発見されました。それ以前の1951年頃から魚介類の死亡や変形が目立つようになっていました。未曾有の病気が見つかってから、所謂ネコ実験や臨床症状の調査など原因解明に急ぎました。セレン、タリウム、マンガン説などの推測が出ながら、新潟でも水俣病が発生したのがもう一押しとなり、最終的に水銀有力説から政府統一見解が出たのは、実に公式発見から12年後の1968年でした¹⁾。
水俣病の現在
水俣病は現在もなお患者認定や裁判等が続いており、収束には至っていません。2004年に最高裁が国の幅広い救済を認めたことから、未認定だった5万3千人余りが新たに被害者として認定されましたが、それでもなお対象外の人々がいるのが現状です²⁾。また、原因企業によれば患者のうち凡そ90%にあたる2055人が既に亡くなり、平均年齢は80.4歳となっています。そして、母親の胎内で水銀被害を受けた胎児性患者は現在60代に至り、患者や被害者の高齢化が進むなかで介護など依然とした課題が多く残されています³⁾。
ここから私の随筆にシフトしますが、昔の出来事と相対する度によく惹起される感情として「忘却される」ということが言えると思います。戦争に於ける被爆者や水俣病患者等、挙げれば切りがないですが、現在もなお戦い続け被害に晒され続けているにも関わらず「昔のこと、もう解決したこと、終わったこと」として人々から存在を無視されてしまう状況があります。そのことで議題に上りづらく、結果として人々の関心や知識が薄れ、時代背景や歴史が継承されることなく霧散せざるを得ない道程があるように、どうやら見受けられるのですね。
身近な問題が有名になるまで
この水俣病という問題も非常に複雑な事情を抱えており、例えば元々はごく一部地域に存在する身近な問題だったのです(それでも、決して矮小化されることではありません)。伝染や遺伝が生じるのではないかといった誤情報が流れ、時に隠蔽され、時に差別が起こることで⁴⁾、結果的に甚大な被害をもたらしてしまいました。
社会問題になってから対応が急がれましたが、逆説的に言うと、社会問題になるまで被害が拡大しては遅いのです。その前に、身近な問題であるうちに見て見ぬ振りをせずに向き合い取り組むその積み重ねこそが、早期解決に近づける気がしてならないのですね。そうした意味でも「昔の出来事」として頁を閉じるのではなく、「現在もなお地続きで被害を受け続けていること」と捉え直し語り継ぐことを止めないその営みが、事象に立ち向かえる準備を整えます。
病気とは何か
私がこの問題を俎上に上げようと考えたのは、去年或る美術館で水俣病の特集及び講演を拝聴し感慨を抱いたからです。特に印象深かったのは、某講演で演者が最初に言葉を宙に投げた「病気って一体何なんですかね」という一言です。これは一見哲学的な問いにも思えますが非常に根源的な問題で、つまり何を以てして水俣「病患者」なのか、ということなのですね。
対象者には一切の非がなく、ただ普通に暮らし、ただ普通に魚を恒常的に食べ、たまたま対象地域に住み、たまたま高度経済成長期に生きていただけなのに、ある日突然病気にさせられてしまった。それ以降、「患者」、「被害者」として扱われなければなりません。そこに在るのはただ個別具体的なたった一人の人生や生き方であるのにも拘わらず、「水俣病患者」として生きなければならない不条理があるのですね。
そこで対象者に否応なく課せられるのは、闘病と裁判や偏見等との戦いです。いつまで続くか分からない争いと、治るか分からない未知の病気との共存。自分や家族がいきなり「別の何か」にさせられる怖さと、何より当事者はその神経系の傷害から往々にしてその煩悶を言語化することができません。
少し想像するだけでも胸に詰まり込み上げるものがありますが、実際を目の前にすると筆舌に尽くし難い現況が横たわっている現実に、言葉が出てこなくても、向き合っていかなければなりません。
おわりに
この記事をどう結論づけるか、しばらく色々と逡巡していたのですが、率直に述べると今回の議題は中々筆が進まないのです。それは、当時の写真や文章、映像等を閲覧し感情移入していることも関係します。何かこう、それはどの議題にも通底することですが、とても軽佻浮薄にまとめることが出来ないのです。こうした、自然や公害、環境問題の恐ろしさや無慈悲、不条理さを眼前にし、立ち竦み言葉を失う事態をどう受け止めればよいか当惑するこの感覚は、何かを表象しています。
それが何かを解る必要もないかもしれないし、解ろうとする烏滸がましさ、そうした畏敬の態度が沸き起こるこの「言葉にならなさ」を、これからも確かめて参ります。
参考文献
¹⁾環境相 水俣病情報センター,2024
http://nimd.env.go.jp/archives/minamata_disease_in_depth/minamata_convention_on_mercury/ (参照 2024/09/24)
²⁾「公式確認64年 水俣病は終わっていない」西日本新聞,2020 https://www.nishinippon.co.jp/item/n/604766/ (参照 2024/09/24)
³⁾「水俣病確認68年の現状は」NHK,2024 https://www3.nhk.or.jp/lnews/kumamoto/20240501/5000021925.html (参照 2024/09/24)
⁴⁾渡辺伸一「水俣病発生地域 における差別 と抑圧 の 論理 一新 潟水俣病を中心に (1) 一」奈良教育大学,1998 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpkankyo/4/0/4_KJ00007485676/_pdf/-char/ja (参照 2024/09/24)