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【短編小説】箱の中の私



駅から少し離れた都内の住宅街。
”たくさん”に埋もれながら、静かに一人、箱の中で暮らしたい。
古すぎず綺麗すぎない、平成育ちの建物に住みたい。
あたたかな色の明りを灯し、何ともないありきたりな夜を過ごしたい。
そんな私の、大切な日常。




街灯がわずかに私の帰り道を照らし、なんとか今日も迷わずに家へ帰ることができた。

カンカンと響く足音を聞きながら階段を上がり、まぶしいくらいの蛍光灯が並ぶ廊下を進む。

がちゃりと鍵を開け、少しだけ重い扉を腕で押したら、暗闇が私を迎える。優しく扉を閉め、しっかりと鍵を閉めたことを確認したならば、すぐに明りをつける。


壁についたスイッチを押すと、ぱちんという音が部屋を伝い、白とも言えない、オレンジとも言えない、不思議なあたたかさを持った照明が灯る。それは決して眩しくなく、ただ私を包み込む。


カーテンは開いたまま。きっと外からは部屋の中がくっきり見える。
そう思うと同時に、高い音を立ててカーテンを閉める。
それでも静かな住宅街の暗闇には、僅かな光が漏れていることだろう。


その日常を私が灯したんだ、ということを頭に浮かべながら、キッチンで手を洗い、レジ袋から惣菜の入ったパックを机に置く。


冷蔵庫から、残り物の野菜炒めを取り出し、レンジで1分20秒。冷凍庫からラップにくるんだお茶碗一杯分の白米も取りだしておく。
温まるのを待つ間にお湯を沸かし、箸とお水を用意する。

お椀に味噌と粉末の鰹節を適当に入れ、乾燥ワカメをどかっと入れる。
お湯を注いで即席お味噌汁の完成。ずぼらな私に栄養を与えてくれる大事な一品だ。

いつの間にかレンジは止まっており、開くと白いご飯からホカホカの湯気が出ていた。


用意した全てを100均で購入したお気に入りの木製トレーに乗せ、こたつ机に持っていく。
もちろん今はもう5月なので、こたつではない。冬場以外は、ただの小さな正方形の机になっている。便利なヤツめ。


照明の真下に座り、早速箸をとる。
だがすぐに箸が邪魔だと気づき、1度お味噌汁のお椀の上に置く。そして、お惣菜パックを豪快に開けていく。ここに丁寧さなど必要ないのだ。


さっそくコロッケをいただく。ソースは貰い忘れたので、そのまま食べる。
昔は好きなものを最後に残すタイプだった。いつの間にか逆の性格になったみたいだ。

やっぱり惣菜も温めようかと迷いつつ、立つのが面倒なのであきらめる。
味噌汁で口を温められれば十分だ。


ご飯が残り4割になった頃、食事に飽き始める。
最初の方は美味しい美味しいと言いながら食事に集中して楽しめるのだが、後半を過ぎるとそうもいかない。
静かに1人で食事をしていることに気付かされてしまう。


寂しさと言っていいのかわからない虚無感を打ち消すため、すぐにスマホを手に取り、YouTubeを開き、アマプラを開き、ネトフリを開く。

今日はYouTubeにしようと思う。お気に入りの配信者の新着動画が出ているから、それを見よう。
動画を流し、机に置いてからまた食事を再開する。

なんとか逃げずに最後まで食べ終え、ご馳走様の手を合わせる。

洗い物はすぐにはしない。お皿はそのまま机に放置し、スマホを手に取ってベッドに寄りかかり、また動画を見続ける。


ひと通り飽きたらお風呂を洗う。なるべく毎日お風呂には入りたい。そう思って、バストイレ別でお風呂広めの物件を探した。薄給のくせに、贅沢なやつだとは思う。
それでもこの部屋を選んでよかったと思っている。


大きな集合住宅の一角で、私は暮らしている。
この建物には私以外にもたくさんの人が住んでいて、住所なんて変わらないのに、みんな全く違う生活をしている。

きっと今目覚めた人もいれば、電気をつけたまま寝てしまった人もいることだろう。もしかしたら、住人はお仕事真っただ中で、ただ空っぽの部屋が淋しそうに主人の帰りを待っているかもしれない。

そんな想像が、私を幸せにする。
たくさんの生活がここにはあって、誰一人として同じではない。私は私の暮らしをしていいのだと、そう思える。

暗闇の中に立つ大きな箱を開けてみれば、あたたかな光に包まれた私が、今日も静かにゆっくりと暮らしている。