どうでもいい話 れっきとした○I○I
私は大阪の生まれ育ちだが、大阪の難波に「○I○I」という百貨店がある。
読み方はマルイ。これが全国展開だと知ったのは東京に引っ越してきてからだ。
高校生くらいまでこれのことを「おいおい」だと思っていた。非常にあるある。
誰かが「あれおいおいって読む人いるよな笑」と言っているのを聞いて「おっと危ない、堂々とおいおいって読むところだった…」と認識を改めたような記憶がある。
基本的に私はかっこつけでプライドが高いので「えーそうやったんや」とか言わずにその場では知ったかぶりして人知れずひっそりと認識を改めることが多い。
まあいちいち驚いたリアクションするには毎日に学びが多すぎる。まず○I○Iの表記を思いついた人には、初見で読ませようとする気がない。
ただ、しばらくどうしても通るたびに微妙に納得のいかない気持ちを持て余していた。
○I○Iはどうやったらマルイって読めるんや。
たしかに、おいおいと呼んでいたことは短絡的すぎた。それはあまりにセンスがない。
そして○とIでマルイなのはギリギリ分かる。
じゃあせめて「○I」や。
2回目の○Iの存在は何。余韻なのか。
百歩譲って表記が○I○Iであるならば、読み方は「マルイマルイ」やろ。
私が表記に厳しすぎるのだろうか。みんなそんなことはどうでもいいのだろうか。
突っ込みたいけれどどうでもよすぎて突っ込めないフラストレーションを抱えたまま、○I○Iで買い物をしたり○I○Iのクレジットカードを作ったり、○I○Iにお世話になることが増えていき、違和感もいつしか薄れていった。
しかし、そんな昔の葛藤を思い出さざるを得ない出来事が最近あった。
横浜駅に遊びに行って、○I○Iに入ったとき。
もう私は○I○Iの存在に慣れすぎて、どうして○I○Iがマルイと読むのかもう突っ込むこともしていなかった。
だってそんなことどうでもいいし。まずそんなことを言い始めたら、ブランド名なんてどれも読めない。マルイをおいおいと思い込んでいたことよりも、その後に知った「アニエスベー」を「アゲインビー」と思っていたことのほうが私にとっては恥ずかしかった。あれはどう見てもアゲインビー。世の中には理不尽が溢れかえっている。
こなれた表情で友達に「ほなマルイの中でご飯食べよか~」と言う私。人はこうやって世の中に流されていく。
そのときドアの近くに書いてあった。
「○I CITYの駐車場はこちら」
○I CITY。
読み方はおそらく、マルイシティ。
…ほうほう。
その表記でほんまにいいんやな。
とうの昔に置いてきたはずの違和感がじわじわと戻ってくる。
「○I○I」で「マルイ」なんじゃなかったのか。
「○I」で「マルイ」と読むと公式がおっしゃるならば、それは本格的に「○I○I」の読み方が「マルイマルイ」ということになってしまうが、そういう認識でいいのだろうか。
誰かマルイの偉い人の中で、「○I CITY」という表記を採用するにあたって「いや、それやと○I○Iはマルイマルイになってしまいますやん」と突っ込む人はひとりもいなかったのだろうか。
突っ込みが入った末に「いやいやでも、○I○I CITYやと長いですやん」と批判が飛ばされ、協議の末に○I CITYに落ち着いたのだろうか。
つい考え込んでしまった。
高校のとき「せめてマルイマルイやろ」としつこく食い下がっていた私が少し救われた気がした。
私の説は思わぬ形で立証された。
○I○Iはれっきとしたマルイマルイだったかもしれない、高校生の私よ。
○I CITYの駐車場案内の張り紙の写真を撮っておけばよかった。写真がないから、同じ日にそごうの屋上から撮った風景を載せるしかない。せめてそこは○I○Iの屋上であるべきだった。
一緒にいた友達に「しょうもな…」と思われるのを気にして写真を撮れなかった、見栄っ張りな自分が悔やまれる。
※ちなみにこの件についてはあえて一切調べていないので、何か知っていることがある人はぜひ教えてください。