漢奸(5)
本書には、共産党支配下の地域において漢奸がどのように追求されたかという記述がない。本書の不備を補う意味で、Wikipediaの説明を引用しておく。
一部例外はあるが、一般論としていえば、
① 満州国関係者は、多くがソ連に拘束され、その後中国の撫順戦犯収容所に収容されるが死刑は免れている。代表例が、溥儀である。ソ連の追及を逃れ国内に潜伏した孫其昌、張海鵬は、その後囚われ死刑に処せられている。
② 蒙古連合自治政府関係者は、民族の違いなども考慮されたのか、処罰されていない。多くは国民党に復帰し、共産軍との戦いに利用されている。徳王は蒙古人民共和国へ逃亡するが、その後、中国に引き渡され監獄生活を長期間送った後、釈放されている。
最後に、本書「おわりに」に記述されている著者の見解は重要と考えられるので取り上げておきたい。
日中戦争という特定期には、「親日派」=「漢奸」であり、誰もが異存ない見解であった。日中戦争初期においては、南京や上海で多くの日本留学生が漢奸として公開処刑された。重慶に国民党政府が移転してからも、専門部隊による漢奸追及は依然行われた事実は、本書にも記載されている。蒋介石政権が行った”漢奸狩り”である。
以上のような事実を踏まえて、著者は、今日の中国人は、「知日派」になるのは構わないが、「親日派」になることには抵抗があると分析する。その理由は、勿論“日中戦争に対する深い思い”が依然としてあるからであるが、もうひとつは、漢奸裁判が残した“遺産”が余りにも大きかったからであると考える。
さらに言えば、“中国文化に内在している「主和」(=和平論者)への厳しい見方”も関係していると言う。
秦檜、李鴻章、汪兆銘らは「主和」であり同時に裏切り者でもある。
「秦檜の罪状を暴き、あの世の果てまで追いかけて、徹底的に懲罰を加えようとする発想」(井波律子「裏切り者の中国史」)が、傍証として著者により引用されている。
後に漢奸に問われた周作人の言葉は、中国人の伝統的なこのような観方への批判でもあった。
「和は戦いより難しい。戦って負けても民族の英雄になれる。和平を成立させても永世の罪人である。和を主張するには、政治的定見と道徳的精神力が要求される」(本書から引用)。
本書に登場する代表的漢奸たちの多くが、日本留学生であった事実(汪兆銘、周仏海、周作人、高宋武)。そして、上記したように、日本留学生であるという事だけで抗日戦争中に蒋介石政権の”漢奸狩り“の対象者になり処刑されていった事実。
著者の言うとおりに、漢奸裁判の後遺症が現在の中国人をして親日派になることを躊躇させているとするならば、“漢奸問題”への関心を日中双方がもっと高めてゆく必要があるのではないか。