ローマ人の物語 9
452年春から秋まで北イタリア一帯はフン族の侵攻を許す。ローマ司教レオの伝説(暴虐を非難し慈悲の大切さを説きアッティラを説得させたとする)。莫大な講和金を手にしてフン族は撤収する。453年、アッティラの死。フン族の内訌と霧散解消。
439年、カルタゴ10年の攻防の末陥落。ヴァルダン王朝の成立。ローマ人上流階層の離脱と社会の変化。カトリック派の衰退と非カトリック派の全盛。農産物
の生産量低下。
455年、ゲンセリック率いるヴァルダン族の徹底的なローマ略奪。468年、東西ローマ連合軍の侵攻は完敗に終わり、この年を最後に東は西を見放す。
最後の皇帝ロムルス・アウグストゥス(475年10月15歳で即位。父親はアッティラに従っていた武人でその後西ローマの宮廷に入り、西の反東のリーダーとして勢力を確保)。
西の突然滅亡。将軍たちの要求を拒んだ少年皇帝に父親が殺されたが、その後の皇帝になる人物がいなかった。殺害の主役オドアケルも皇帝を望まなかった。塩野は「消え失せた」と表現。オドアケルは、西ゴート出身。東に「イタリア担当皇帝代理」を求める。東のあいまいな態度に彼は自ら王を名乗る。
オドアケルによる「パックス・バルバリカ」→共生はできても同化はできない。加えて周波上の問題もあった。
東ゴート族の若き族長テオドリックの登場。東とは「同盟者」であった。
488年、イタリア進攻開始。族長の独立心と皇帝の「厄介払い」の利害一致。
493年5月、講和交渉の中で突然オドアケルは殺され、東ゴート王国が誕生。
テオドリック氏は以下の33年とオドアケルの17年間の50年にわたる「パックス・バルバリカ」。→533年、北アフリカのヴァルダン王国滅亡
553年、東ゴート滅亡(ローマ軍の攻略)。滅亡。
東皇帝ユスティニアヌスの功績
1. ハギア・ソフィアの建立
2. 「ローマ法大全」編纂
3. 旧西ローマ帝国領の再復
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