漢奸(3)
作品「漢奸」の要約
1945年8月11日、既に日本敗戦の事実を承知している日本人6人が上海の一室で緊急事項の相談をしている。それは対日協力者たちの安全をどう確保するかということであった。そこに飛び込んでくる安徳雷。片手には、日本敗戦の号外が握られている。
“和平だ!”と告げる彼に対して、鈍い反応を示す日本人。和平ではなく敗戦なのだ。
匹田は“自由になった”と感じる。
勤務先の新聞社(日本軍が管理)に戻る匹田を追いかけてくる安徳雷。彼は、匹田の同僚であるが詩人でもあった。日本語を若い時に学び、日本の前衛詩、日本語訳のフランス詩に傾倒している。
彼が無邪気に信頼してきた日本や日本人が、一瞬にして無力な瓦礫となったことに気付いた安徳雷。自分は仕方ないとしても子供を案じ、「今晩から、わたし、困ります」と訴える。
途中で出会った先ほどの会合参加者の一人古屋。安徳雷を馬鹿だねと断ずる古屋に、「彼をそうさせたのは誰か」と詰め寄る匹田。「センチメンタルだ」と言われ気色ばむ匹田。こちらが”首謀者”であることを認めながら、“身から出た錆”と言うより仕方ないと責任を回避する古屋。
古屋と別れた匹田は、日本の敗戦を知って興奮する群衆、それを押さえつけようとする日本軍兵士、壁や窓に勝利を喜ぶ文字を見る。その中に、安徳雷を「漢奸」と弾劾する文章を見つける。弾劾文のすぐ後には、「撲滅漢奸!」という詩があった。
「漢奸!
漢奸!
汝は国に叛きし禍殃のあるじにして、
民を迫害せし犯罪人なり!
・・・・・・・
永劫万年の臭気を遺し留むるものなり 」
「なんとかしてやろう」と思う匹田。何にもできなくても何とかしてやろうと思うのもまた、占領者として君臨していた者の思い上がった気持ちのさせることなのだろうかと自問する。中国の民衆の中に“いと長かりし抗戦苦難の日々”と叫びたがっているものと同じものが、自分の中にもあることを知り愕然とする。
新聞社に到着した匹田は編集長の程仲権に会う。日本にいた時からの友人であり、彼の招きで上海に渡った匹田。程の青白い顔を見て、「日本を深く信頼した人ほどこの変動に対して無準備なのではないか」と思う。陸戦隊が封鎖しているこのビルからの即時撤退を勧める匹田。程は、この際に臨んで、「ほんとうの日中合作必然論」を書き上げ退社したいという。その言葉にうたれながらも、「君、済まなかった」とついに言えない匹田。 原稿を書き上げた程は、用意した金を匹田に渡し静かに立ち去る。群衆の間から聞えた「この漢奸野郎」の罵声。匹田のポケットに入っている程がくれた文鎮。汪兆銘から程に送られた記念品。その裏に彫ってある文字は、「士為知己者死 女為説己者容」であった。金は、その後安徳雷の手に渡っていく。
国民党軍の進駐。日僑集中区へ移された匹田は、友人の大島(=武田泰淳)とともに代書屋家業などで日々を過ごす。安徳雷の消息はつかめない。
やがて国民党の徴用に応じた匹田は、ある日、安徳雷の裁判のことを知る。
彼の家族は、塵芥集積所の中の粗末な小屋の中にいた。「漢奸の家族は中国の塵芥」とでも言っているかのような印象を抱く匹田。安徳雷の妻は、匹田の与えた金が、このような結果になったと彼に怒りを示す。大金を持ったことを聞きつけた近所の人々が押し掛け、混乱の中でここまで追いやられてしまったのだ。子供が二人死んだ。
妻の、証人になってくれという要請を匹田は応諾する。
編集長であった程と社長は中共地区に居り、国民党政権から欠席裁判で死刑判決が出ていることもやがて知る。
裁判が始まった。匹田の証人申請は却下される。
検察側の詰問になんら抗弁しない安徳雷。傍聴席から「売国偽詩人め!」とののしる声が聞こえる。検察は、抗弁しない彼に対し逆に「被告は文学による和平救国を目指したのではないか」と質す。法廷に笑声が走る。「通謀敵国、和平救国」は、漢奸たちの抗弁の唯一の証拠であったから。しかし、このフランス風詩人に対して、そんな質問は滑稽でしかありえなかった。
判決は、1年6か月の懲役。1年6か月の公民権剥奪。全財産没収。
被告に取りすがり泣き騒ぐ妻子。
「人は当然と言うだろう。けれども匹田は、深く、人間というものはたまらない、と思った」。