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宮崎滔天「三十三年の夢」(2)

1. 内容紹介
岩波文庫本では、滔天の顔写真に続いて3人の序文がある。
孫文の序文では、滔天は、中国史上、“東海の侠客”として有名な虬髯公(きゅうぜんこう)以上の“今の侠客”であり、“識見高遠、抱負凡ならず、仁を懐い義を慕うの心を具え、危きを拯い傾けるを扶くるの志を発し、日に黄種の陵夷を憂え。支那の削弱を憫む”と紹介されている。孫文は的確に滔天を理解していたことがこの序文から読み取れる。
冒頭の序文の書き手である清藤幸七郎は、タイ移民行を共にして以来の友人であり、志を共にする同志として、最初に登場するのは妥当なところであろう。
漢詩を寄せた「無何有郷生」とは武田範之であり、滔天の永年の友人である。滔天の墓がある新潟県顕聖寺の住職であったのが、大陸の風雲に誘われて志士活動に入り、天祐教事件など主に朝鮮を舞台に活動した人間である。滔天は友人として交際していたが、武田の持つ国権的なにおいに敏感に気づき、全面的に心を許すことはなかったという。その意味では同志とはいえない面もあるわけであるが、滔天の死後その墓を自分の生家の寺に建立したのは武田である。当時の志士と言われる人々の融通無碍な人間関係を思わせる一コマである。

本文に入る。
本文には、28の見出しの下に数多くの小見出しがついており、大変便利である。
28の見出しを私なりの基準で分類すると以下のようになる。
① 「故郷の山河」から「思想の変遷と初恋」まで
まず故郷の生家や両親、その膝下で“英雄になれ”、“大将になれ”と訓導された幼年期。熊本中学や大江塾で見た同窓生たちの立身出世欲。何かを求めて上京し、キリスト教に出会い、煩悶から一時的に解放される時期を経て、長崎の神学校に学ぶ。そこで“狂乞食”として扱われていたイサク・アブラハム(スウエーデン人)に出会い、小天の有力者前田案山子の次女槌子と恋に陥る。やがて訪れる結婚と、ある種の喪失感。“恋の化身”で良いのだろうかと自問、煩悶する滔天に、次兄弥蔵から是非会いたいという書状が届く。
② 「大方針定まる」から「第二のシャム遠征」まで
次兄弥蔵の“宿望たる中国問題”を聞かされ、全面的に賛同する滔天。
弥蔵の主張:過去の社会改造論などはいずれも陳腐、要は決行するのみ。そのためには“腕力の権”によらざるを得ず。その根拠を支那に置く。支那の「三代の治」の思想は我々の考えに近く、支那に入ってともに革命し、支那がもし“復興して義に立たんか”、インド、シャム、安南も奮い立ち、フィリピン、エジプトを救うことが出来る。
滔天の生涯の方針が決まったのが明治24年(1891年)。先行して上海に行くも資金不足で挫折するが、帰国後日本に亡命中の金玉均に会い協力を誓う。金玉均はその直後上海で暗殺され、今後の具体的行動を見いだせない滔天。やがてシャム移民団の監督役の話に乗って、南方の支那人の実態調査もかねて2回にわたりシャムに渡航する。2度目の渡航では、滔天自身、病死寸前のところまで追い込まれるが、窮地を脱して帰国。
2回目の渡航までの3か月間の滞在期間中の、妻との不和。下宿屋を営むことで生活費を捻出せんとしていた妻の不倫の噂に悩まされる滔天の赤裸々な心情が率直に描かれている。
③ 「ああ二兄は死せり」から「興中会首領孫逸仙」まで
明治29年(1896年)、“兄弟分業”の誓のもと、横浜の支那人商館に住み込みで言語の習得をしていた弥蔵が死去する。虚脱感に陥る滔天。
弥蔵の辞世の句;
“大丈夫(ますらお)の真心こめし梓弓 旅たたで死することのくやしき”

滔天を救ったのが犬養木堂(5・15事件で暗殺される犬養毅)。彼の尽力で外務省の機密費を使った2回目の中国旅行に出かける(香港)。出発前に、弥蔵が生前知己となっていた陳白(孫文の秘書的存在)に会い、帰国後の再会を約す。 香港では、会党(興中会も既に存在)の首領が孫文(書中では孫逸仙と書かれているが本文では今後とも孫文と表記する)であることを知り、彼に会おうとするが、その孫文が日本に向けロンドンを出発したという知らせを受けて帰国する(明治30年)。
「興中会首領孫逸仙」の冒頭では、孫文のロンドン幽閉事件までの活動が紹介される。横浜に船が到着したその日の晩に、滔天は陳白宅を訪れるが、彼は不在だが孫文らしき人物が滞在していることを発見。翌朝、訪問。第一印象は、果たして孫文は彼が期待している英雄であろうかという疑問であったと、滔天は率直に語る。 しかし、一たび孫文が語りだすと滔天は圧倒される。その主張する①共和主義、②四海同胞主義は、自由民権の血筋を引く滔天にとってはまさに待ち焦がれていた理想でもあった。原文には、滔天の感激ぶりが、“彼、何ぞその思想の高尚なる、彼、何ぞその識見の卓抜なる、彼、何ぞその抱負の遠大なる、彼、何ぞその情念の切実なる。・・・誠にこれ東亞の珍宝なり。余は実にこの時を以て彼に許せり”と美文調で謳われている。

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