【小説】せきれいの影|序
ゆうやけに こうべをたれる はるもみじ
室井弘明
「なんだ、お前、やればできるべや」
「すいませんっす」
ムロアキはわざとらしく頭をかいてヘコヘコと頭を下げた。
一八〇センチを超す体躯も相まって、絵に描いたような滑稽ぶりだった。
それがクラスの笑いを誘った。
この間、教頭がなにを思ったのか”宿題を計3回サボったものは教科ごとにペナルティを課す”という取り決めをした。
室井弘明、ムロアキとあだ名されているこのボンクラはさっそく古文の宿題を3回サボった。
国語教師の厚森が課したペナルティは、俳句を一句詠むこと。
ついでにその俳句は『教材』として全校に回る。
「なしてペナルティ食らうのわかっててさぼるんだろうな、こいつは」
厚森が首をひねりながらいうと、他のクラスメイトがおちょくるように、
「先生、こいつは俳句一句で懲りるタマじゃないですよ」
「よし、したら今度宿題やってこなかったら十句詠んでもらうか」
「いや、それはムリっす! 絶対ムリ!」
教室が一層賑やかになった。
「それにしても『はるもみじ』はよく思いついたな。それに、お前『こうべをたれる』なんてどこで覚えた?」
ムロアキは一瞬間抜けな顔をして、
「中学で読書感想文書かされた時に、どうしても書けなくて先生に泣き入れたんすよ。したら『詩集でも歌集でもいいから読んで書いてこい』って言われたんす。その時の記憶が少しあるんすよね」
「そういうことか。まったく、こいつは昔から悪運だけはいいからな」
教室が笑いに包まれるなか、誠一だけが、釈然としないような、ふてくされているような、いつもの不機嫌面をしていた。
日焼けした坊主頭の姿も、射貫くような眼差しも、昔から変わらなかった。
中学まではこんなにぎくしゃくしてなかったんだけどな。
二〇四九年、北国の片田舎に春がやってきた。
高校三年生の俺たちは、それぞれの進路が迫ってくる気配を感じながら、いましばらく続く春休みのような日々を過ごしていた。
俺とムロアキ、それに何人かの同級生が”サッポロベツ組”として地元を離れ、サッポロベツで進学するか就職するか、どちらか選ぶことになっていた。
俺は私立文系大学を目指している。
勉強よりもサッポロベツでの就職に向けて一年生のうちから動くつもりだ。
ムロアキは誰でも入れるような大学で彼女を作ることしか考えていない。
チャランポランぶりは一生ものだろう。
誠一は国防軍予備訓練隊に入隊して、除隊後、就職先を斡旋してもらう予定でいる。
経済的な理由で進学できない代わり、空手部で鍛えた体と根性で勝負して、安定した企業への入社を目指しているそうだ。
サッポロベツの駐屯地には配属されないそうで、こいつだけは田舎から田舎へ越すようなものだ。
俺たちは小学校も中学校も高校も同じだった。
ムロアキのところの豪邸と、築二十五年の俺の家、それに誠一とお母さんが二人で入っている団地が近所同士なのだ。
今日は久しぶりに三人揃っての下校だ。
話題らしい話題もなく、俺はなんともなしに聞いた。
「誠一、テスト期間は勉強するのか? それとも走り込み?」
「走る。勉強なら普段やってるからな」
「そうか。したら、俺、ちょっと寄り道していくから」
「俊、また芳次さんのところか?」
「うん、いろいろ用事たまってるんだわ」
その別れ際だった。
「あ、またせきれいだ」
小鳥が群れて、アスファルトをぴょんぴょん駆けたり、一斉に羽ばたいたりを繰り返している。
すると、誠一がムキになって、
「だから、絶対尾長だって。いいか、負けたほうがジュース奢りだからな?」
「望むところだ」
二人で笑いあった。
もっとも、この賭けにムロアキは無関心だった。
「どうせ食ってもうまくなさそうだし」というのが言い分だ。
その代わり、俺たちにかまいもせず”トンツー”を打っている。
モールス信号の送受信機のようなもので、電話回線を経由する仕組みになっている。
本当に、このチャランポランはどうにかならないものか。
芳次の家の呼び鈴を鳴らした。
「またコンピュータか? 俺の身にもなってくれよ、お前のお母さんからグチグチいわれてんだから。それから回線は三十分までな」
そういいつつ、年の離れた中年の従兄は今日もコンピュータを触らせてくれた。
立ち上がるや否や、俺はオンラインスペースのアドレスを入力した。
無機質なテキストとコマンド入力欄だけの画面に、ザア、とドット絵が現れた。
スペース名は”ムロアトリエ”。
管理人のオンラインネームは『ムロアキ』だ。
今日の俳句、うまくいったぞ! お前らありがとうな! HAHAHA
ムロアキ は オンラインカンニング を おぼえた! なんつって HAHAHA
あの茶番はすべて嘘と悪知恵でできていたらしい。
ほかにも『ムロアトリエ』には卑劣な文章がこれでもかと書かれていた。
それに『ムロアトリエ』は大手のスペースなので、同じような性格破綻者が同調するようなコメントを書き残していた。
こんなに不愉快な思いをするのに、ウォッチするのをやめられない。
俺も陰湿な趣味をしているよな。
暗い気持ちで舐める蜜の味には麻薬がかった中毒性があった。