【小説】せきれいの影|3話
「西野谷誠一君の起業を祝しまして!」
乾杯! とジョッキを突き合せた。
「いやあ、奢ってもらう酒は美味いわ」
「本当に美味そうに飲むよな、お前。まあ、祝い酒だからどんどん飲めよ」
誠一は国防軍予備訓練隊を満期で除隊した後、国内屈指の大企業の子会社から内定をもらった。
その会社で下積みがてら十年ほど働いて、自分でやりたい事業の計画を温めていたそうだ。
当面、会社から仕事を分けてもらうといっていたので円満に退社できたのだろう。
会社を立ち上げたら高級洋酒を扱うらしい。
確かに、ここのところ経済が順調に成長していて、サッポロベツも、俺たちの大学時代と比べて見違えるほど栄えていた。
誠一は会社員時代に営業で金持ちの相手をしていたので、今度の商売相手も金持ちにするのだそうだ。
「これからしばらくは忙しいだろうなあ。いままでの三倍は働かなきゃならんし、商品知識もまだまだだからな」
「ヨビクンの訓練とどっちがキツい?」
「そりゃヨビクンに決まってる」
誠一は豪快に笑った。
日焼けした肌、より精悍になった目つき、そしてなにより、一回りも二回りも大きくなった体躯が訓練の厳しさを物語っていた。
若い頃より少し贅肉がついたのはお互い様だ。
「誠一、お母さん元気か?」
「ああ、元気そのもの。習い事だの旅行だの忙しくしてるわ」
誠一は、照れくさそうな、それでいて満足げな顔をした。
こいつは、お母さん想いと根性だけでここまで来たような男だ。
中学生のころ、取っ組み合いに負けたのをきっかけに空手部に入部した。
空手をやったほうが喧嘩に明け暮れるよりずっと強くなれるから、と悔し気にいっていたのをいまでも覚えている。
自分の学費の足しにと、高校三年間、新聞配達を務め抜いた。
腰ほどもある雪を掻きわけることもあったそうだが「いい鍛錬になるんだよ」と笑い飛ばしていた。
経済的な事情で塾に行けない代わり、職員室に通い詰めた。
教師という勉強のプロに教わって、ヨビクン入隊試験に通るだけの学力と内申点を稼いだ。
「弱くなりたくないから」と未成年飲酒も未成年喫煙もしなかった。
こいつはなにかにつけ「弱くなりたくない」と口にする男だ。
根が強い人間なので「強くなりたい」とはいわないのだろう。
もっとも、ヨビクン時代に、酒をしこたま、煙草も少々仕込まれたそうだが。
誠一が努力するそばで、ムロアキはガブガブ飲んでスパスパ吸っていた。
誠一は軽蔑の言葉をはっきり口に出していたが、ムロアキには響かなかったようだ。
そのムロアキがなかなか姿を見せない。
「ムロアキの野郎、今日はヤキ入れなきゃだめだな。せっかくの起業祝いなのに」
「俊、あんなのあきらめちまえ。考えてみろよ、あいつのチャランポランは一生ものなんだし、あいつのペースに巻き込まれて苛ついてたらこっちが損だと思わないか?」
「それは一理あるけどさ。まあ、お前が納得してるならいいか。せっかくの酒が不味くなっちまうし」
「そうそう、その通り。あのボンボンは放っておこうや」
あのボンボン、というところで語気を強めた。
本人は無意識だったのだろうけれど。
ムロアキの実家が裕福なのはあの町では有名だ。
そこのボンボンは、苦労らしい苦労を知らない。
俺と誠一はともかく、ムロアキと誠一はただの腐れ縁だ。
今日は義理で呼んだようなものだ。
その義理という概念があいつにはないらしい。
結局、いくら待っても、ムロアキは顔を出さなかった。
「あいつ、なんかあったんじゃないのか?」
「もう放っておけよ」
誠一はろれつの回らない口調で言った。
だが、俺にも思うところがある。
「よりによって、あいつが飲み会をすっぽかすと思うか? 遅刻はしょっちゅうだけどさ、いくら何でもあいつらしくないと思うんだよな」
誠一はあざけるように、
「いや、あいつならあり得る。今日のことなんて忘れてホステスと飲んでるかもしれねえ」
「それはそれでありそうだけどな」
「いや、絶対そうだ。そうに決まってる。よし、予定変更! お前の代わりに俺がヤキ入れとくわ」
「まあまあ、そこだけは俺に任せとけって」
なんとか誠一を宥めて、そのまま二次会に行くことになった。
二次会ではムロアキヘの愚痴が止まらなくなってしまった。
まるで学生時代に戻ったかのような愚痴だった。
あいつばっかトンツーだのコンピュータだの持ちやがって。
酒と煙草でカッコ付けてるつもりかよ。
コネで大学なんか行って何になるんだよ。
多少の疲れを我慢しながらも、愚痴に付き合ってやった。
全部吐き出してしまえばいい。
いまも昔も、まっとうにやっているのは誠一のほうだ。
それを、あの馬鹿がまた裏切った。
そう、ここまで来たらチャランポランどころじゃない。
立派な裏切りだ。
俺も酒が進んだので、二次会はムロアキの愚痴大会になってしまった。
宴会がお開きとなり、誠一はへべれけになりながらも、ばつが悪そうにいった。
「今日はすまんかったな。せっかく祝い酒飲ませてもらったのに」
「気にすんな。今度ガッツリ奢ってもらうから」
任せておけ、といって誠一はタクシーで帰っていった。
俺もタクシーを使おうかと思ったが、思いとどまって終電間際に切符を買った。
ある程度分かってはいたが、今日の出費は財布に堪えた。
気持ちよく奢ってやるつもりだったのに、最後の最後でケチが出てしまった。
仕方がない。
もう世間知らずの学生ではないのだから。
* * *
翌朝、朝六時過ぎ、玄関の呼び鈴が鳴った。
二日酔いのためにすぐ起きることができなかった。
再び呼び鈴がなって、玄関の戸をどんどんと叩く音がした。
「いま行くから! 誰だ、こんな朝早くに!」
「ホッカイドウ警察です」
どくん、と心臓が鼓動した。
二日酔いと相まって発作を起こすかと思った。
ふらふらになりながら玄関を開けると、制服姿の警察官が数人、それに後ろにはパトカーが控えていた。
「木戸俊さんですね?」
「はい」
俺は犯罪なんてしていない。
昨日はしこたま飲んだが、記憶が飛ぶまで飲んでいないし、酔って何かやらかした覚えもない。
「室井弘明の件でお尋ねしたいことがあります」
今度は心臓が早鐘のようにどくどくし始めた。
「なんのご用件でしょうか?」
胸のざわつきを悟られたくなくなかった。
それでぶっきらぼうな口調になったのが自分でもわかった。
「室井弘明を大麻取締法違反で逮捕しました。あなた方が室井を酒の席に誘った日です。お手数ですが、任意同行願います」
酒臭いため息を思い切りついた。
警察官の気遣いを荒っぽく拒んだ。
あの馬鹿野郎。
あの、大馬鹿野郎が。