流れがわかる日本史②
どこから書くか?これはとても大事な命題です。もちろん最初からがいいのだろうと思いますが、正直どこからでも書けます。私は、歴史とは人の営みだと思っています。教科書には事実の羅列しか書かれていませんが、その行間には人のドラマがあります。権力が欲しい、あいつが憎い、あいつを守りたい、金が欲しいなど人の権力欲求や支配欲、犠牲心、金への執着など当然の欲求の中でドラマが繰り返され、歴史が形作られていったのです。大切なことは、その感情を捉え、自分のこととして歴史を学ぶということです。自分だったらとか考えることで、同じ失敗を繰り返さないように教訓とすることもできるのです。
色々と話しましたが、どこから書くか?という話に戻ると、人間の営みが具体的になる紀元前後から始めたいと思います。この日本には旧石器時代、少なくとも3万年前から人がいて、狩猟・採集生活をしていたことが分かっていますが、ハートフル、ハピネスな生活が続いており、人間の感情が分かりにくい時代です。ですので、いわゆる弥生時代に入り、人々が争いを始める頃から物語をスタートさせたいと思います。
紀元前後の日本は弥生時代でした。旧石器時代・縄文と続いて弥生時代です。この時代の特徴は何かというと、争いが始まります。なぜなら、米作りが中国から伝わり、稲作がはじまると、人々は食べ物の貯蔵が可能になります。蓄えができるのです。農業は組織的にやる必要がありますので、指導者も現れます。そうしてまとまりが出来ていくと、彼らは気づきます。“隣のグループの方が米がたくさん収穫できているぞ”“僕たちは今年は全く取れなかったぞ”そう、農業には様々な条件で、たくさん実る場合と実らない場合があるのです。
米が実らなければ、食べるものがなく、飢えて死にます。今も昔も人々が武器を取るのは、食料がなくてこのままだと死にそうだ、という時です。弥生時代の人々は武器をとり、隣のグループを襲撃しました。ちょうどこの頃、大陸から鉄が伝わり、最強の武器として人々は鉄を握りしめていました。ちなみにこの鉄は非常に重要で、鉄の産地であった島根県は、もう少し後の時代、出雲政権として大和政権と肩を並べる一大政権を築いていました。これも鉄の力です。
そして、勝者は敗者を奴隷にし、より大きなまとまりを作っていく、そういう時代となりました。この大きなまとまりを「クニ」というようになります。まだこの時代は漢字が伝わっていないので、とりあえず「クニ」としておきます。
そしてこの「クニ」の首長は、次にどういった行動に出るかというと、使者を中国に派遣するのです。なぜ?と思うと思いますが、当時は中国は文明国で、中国を中心に周りの国は、文明の進んでいない野蛮な国という中華思想がありました。中国皇帝は周辺国の首長が使者を寄越してきた場合、その首長を首長が支配している地域の「王」に任命してあげるのです。そうすることで、中国皇帝と王には親分と子分という関係が生まれ、子分は毎年皇帝に挨拶(朝貢)する必要が出てきます。しかし、こうすることで「クニ」の首長は、皇帝からのお墨付きをもらうのです。いわゆる支配の正統性です。
戦いに明け暮れるというのは疲れます。中国皇帝という権威を拠り所に、平和的に支配をする道を選びます。組織が大きくなるにつれて、権威を高めることで支配をしようとするようになるのです。これは、のちの時代も同じです。武家政権であれば将軍に権威を集め、近代以降は天皇に権威を集めて支配の正統性を主張する。軍事力だけでは、平和的に長年にわたって支配していくには限界があるのです。
ちなみに、この時代に日本から使者が来たことが中国の歴史書に書かれています。「漢書」「後漢書」「三国志」「宋書」には、日本の使者が、あいさつに来ているといことが書かれています。彼らは、中国皇帝からのお墨付きをもらいに来ていたのです。さらに、中国東北部、吉林省には、391年に日本と高句麗という国が戦ったという石碑が残っています。当時、中国東北部には高句麗という国があり、朝鮮の一部でした。ここといわゆる大和政権が戦ったのです。これは朝鮮半島の鉄資源を狙った大和政権が高句麗と交戦したようですが、やはり軍事力が重要な時代だったと言えます。
しかし、200年代くらいまでは、争いが始まったとはいえ、人々は、軍事的な支配者よりも、女性的な、巫女的な支配者を望んでいたようです。それは、旧石器時代から、日本人は、精霊信仰というものがあって、自然現象に対して目には見えない神様の存在を想像するのです。そうして、神々が怒らないようなしきたりが生まれたりします。このような神々と人の間に入るのが、女性的な巫女的な不思議な力を持った方だったのでしょう。だからこそ、そういった精霊信仰が人々の主要な部分を占めているうちは、卑弥呼のような支配者が求められていたと考えられます。
ただ、300年代以降になると、本格的な戦闘が始まり、一つの政権が日本全体を支配するような、巨大な政権が誕生していくようになると、人々は武人的な男性的な支配者を強く求めるようになるのです。そして、強大化し、日本全体を覆うように支配領域を広げていった政権が大和政権でした。その首長が王の中の王である大王といわれ、今の天皇家の先祖であり、日本の支配者となっていくのです。
歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。