【古代】光仁天皇(709〜782)の即位
いまいちピンとこない人が多いのではないだろうか。光仁天皇(白壁王)は天智天皇の孫であり、平安時代をスタートさせる桓武天皇の父である。彼の即位は770年、還暦をこえていたのだ。本人も予期していなかった即位であり、光仁天皇の誕生にはある意味ドラマがあった。
時は奈良時代、称徳女帝の治世で道鏡が権力を振るい、その独裁政治により政治は腐敗していた。平城京には仏教寺院が乱立し、仏教と政治が結びつき、仏教偏重の政治に貴族の不満は高まっていた。奈良時代の皇位継承は天武天皇の系統が即位しており、天智天皇系の白壁王は皇位継承など頭をよぎることもなく、一官僚として仕事を全うしていた。52歳でようやく中納言に任ぜられ、57歳で大納言に就任した。妻を娶り、子供や孫に恵まれた白壁王は自分の人生を振り返り、満足していた。この頃、彼は政界からの引退を考えていたのだ。
しかし、風雲急を要する。道鏡が宇佐八幡宮神託事件により、政界を追われ、称徳女帝が後継者がないまま崩御すると、太政官会議により後継者問題が議題となる。左大臣藤原永手、右大臣吉備真備など大物が立ち並ぶ中、大納言白壁王も最後の大仕事であると会議に列席していた。有力候補文室浄三がいるなか、藤原百川(式家)らの暗躍により、白壁王に白羽の矢がとまる。本人にとっても青天の霹靂であった。こうして62歳にして皇位継承という運びとなった。仏教政治からの刷新を図るには、天武天皇系からの脱脚が必要であった。さらに周囲を納得させる人事を考えた場合天武天皇の兄である天智天皇の系統が一番都合が良かったのである。
いずれにしても白壁王は光仁天皇として782年に崩御するまで政務に精励した。思いがけない人事であったであろう。かつて、セカンドライフで始めた天文学の勉強から日本地図の制作に乗り出すことになった伊能忠敬然り、人生はどう転ぶか分からない。運命とは実に不思議なものだ。運命に翻弄されたり、思うようにいかないことが続いても、ひたむきに努力を続けることが人生を彩る上で大切なことなのだと思う。その人生を思い切り楽しむことが大切なのだと思う。
歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。