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コードネーム:abstract

ご無沙汰しております。
いや、ご無沙汰しすぎました…笑

記事投稿を習慣化するとかいいつつ、イレギュラーな勤務があったことにより疲労困憊、そんで体力回復のため安パイな日常に甘んじてしまっておりました。

とはいえ、中身が無いネタを投稿することも本望ではありませんので、充電期間も必要であったのではなかろうか!という言い訳をしつつ、ドトー●コーヒーでアイスティー片手に、再び記事を書いている今日この頃です。


福島県立美術館

さて、11月3日は文化の日でしたね。だからというわけではありませんが、
そうだ、美術館行こう」的なフィーリングで、福島県立美術館に行ってまいりました。ちょうど、おもしろそうな企画展がやっておりましたので、それを目当てに。

企画展の名称は「ポップ・アート 時代を変えた4人」。

ポップ・アートは、報道写真、商業広告、量販品のパッケージ、著名人のポートレートなど、日常生活にありふれたモチーフやイメージを美術の中に取り入れ、1960年代のアメリカのアートシーンを席巻しました。
 ロイ・リキテンスタイン(1923-1997)、アンディ・ウォーホル(1928-1987)、ロバート・ラウシェンバーグ(1925-2008)、ジャスパー・ジョーンズ(1930-)はポップ・アートを牽引したアメリカを代表する作家たちです。彼らは反戦運動や公民権運動などの社会運動が相次いで起こった激動の時代において、ポピュラー・カルチャーやロック・ミュージックとの関わりを通じて、アートと社会の姿を変えていきました。

https://www.fukushima-tv.co.jp/popart/


1960年代ということで、時代は第二次世界大戦後の激動期、ベトナム戦争の前後で世界が大いにうねっておりました。
また一方で、大量生産・大量消費という、近代的な生活スタイルが進みつつある時代でありました。
これらの社会的背景も踏まえ、日常生活のイメージを取り込みつつ、愛と平和を表現するための手段として、アートやロックが浸透していったのだろうと勝手に推測しています。

ポップ・アートというだけあり、アート審美眼が素人すぎる私にとっても興味を持って観覧できる内容でした。

那須ステンドグラス美術館

11月4日は、那須へトリップ。ちなみに、美術館に行く前に、すがぞうで坦々つけ麺(限定角煮トッピング)を食べました。

(というか、2日連続美術館とか…わたしはよっぽど癒されたいのか?)

ステンドグラスに描かれているアートは、ポップ・アートと打って変わって宗教色が濃く、キリストとそれにまつわる世界観が大いに表現されておりました。

途中、100年モノのオルゴール、バイオリン、パイプオルガンの生演奏を聴きつつ、秋の陽光に照らされて映えるステンドグラスを眺めて、懐かしいはずがないのにどこな懐かしいような感覚を覚えながら、あっという間に順路を周り終えてしまいました。

抽象に触れて感じること

ポップ・アートとステンドグラス、それぞれの抽象に触れて感じたことがあります。それは、
「抽象に触れることって、ある意味ライフハックなのでは?」ということです。

単色と線だけで構成された絵画(今回観たのはハンガーの絵画)を眺め、「いやこれはおれでも描けそうだがなぜ作品として評価されてるんだろうか、やっぱりネームバリューかなー」などと、やや失礼な批評を行ったり、3段階で具体から抽象に徐々に変化していく牛の絵を眺めて、「あーこれは最初に具体の牛を眺めたから抽象画を観ても牛とわかるけど、逆の順番だったらわからんなー」とか、箸にも棒にも掛からぬことを滔々と考えるわけです。

こういった思索を通じて、
・自らの思いを伝えるためには、そもそも自らを知ってもらうことが先?
とか
・まずは簡単な例から説明して、段階的に難しい内容を説明するのが良いかも?
とか、
・アートって、自分の中にある抽象を解き放つとても気持ちの良い行為で、これってマインドフルネス的な感じの、ある種の脳内麻薬なのでは?

などの知見を得られるわけです。
加えて、美術館という、俗世の雑多な情報から切り離された世界でデジタルデトックスをしながら、自分の好きなように考えられることって、けっこう気持ちエエんですよ。
そんで、帰りに喫茶店で茶をしばいたら、もはやその日は人生の勝者ですね。ということでわたしは本日勝者d(ここでステージから落ちる)

以上、具体にまみれる世界における抽象の有用性をひしひしと感じた座布団運びのごあいさつでした。
いや今日は連休最終日だが、笑点はもう昨日に終わっているよ、ということでもうエエわ(座布団8枚没収)。ありがとうございました。


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