Baryton あるいは エーリッヒ・ツァンの音楽
Baryton を初めて知ったのは、1980年にパルコ出版局から新装再版されたエマニュエル・ヴィンターニッツ著『楽器の歴史』の本からだった。美しい写真によって西洋楽器の歴史を概観した本で、他に、楽器の歴史の扱った本の幾らかはあるが、翻訳本では、ヴィンターニッツの『楽器の歴史』ほど愉しめるものは他にない。それをソプラノのFYさんが持っていて暫く借りていたが、泣く泣く返した覚えがある。もう四半世紀も昔の話だ。
Viola d'amore や Baryton は、王侯貴族に愛された楽器だけあって「覆された宝石箱のような」非常に美しい装飾が施された楽器が多い。Viola d'amore や Baryton は17〜19世紀まで、広く愛好されたヴィオール属の最期の楽器といって可いかも知れない。フィンガーボードの裏に複数の金属共鳴弦を持っているのが特徴だが、Luteなどが使われなくなった理由と同じく、その弦の多さが王侯貴族の衰頽とともに疎まれるようになったと聞いたことがある。
Viola d'amore の起源は17世紀末、ザルツブルグ、ミュンヘン、ボヘミアに現れ、そしてさらに時代を降って、イタリア、フランスとヨーロッパ全域に広く広まった。Viola d'amoreは、その名前も手伝ってか、この楽器のために献身した作曲家の名前を数え上げるのにも苦労する程だ。
それに比べるとBaryton はマイナーな楽器であったようだ。Baryton は Viola d'amore より早い時期に現れた形跡があるが、名前の変遷と類似楽器との混同があって、起源は定かではない。ひとつにイギリス起源であるとする物語がある。Barytonを発明したのは、死刑宣告された殺人者であったという。刑が執行されるまでの間に、その殺人者が楽器を造った。その楽器が公爵の眼に止り、発明のすばらしさに感激したあまり、殺人者の死刑を恩赦したという。それでその楽器は、最初「Viora di Pardone」として17〜18世紀の間に知られることになったが、イタリアに渡った「Viora di Pardone」は「Baryton」と呼ばれるようになり、何故か、そのイタリア名が定着したというものだ。またイギリス国王ジェームズ一世が、それを称賛し、ダニエル・ファーラントが発明したという「Poliphant」 あるいは 「Poliphone」と呼ばれていたその楽器が Baryton の起源であるという主張があるが、当時の楽器は残されていない。だが、Barytonの黎明期に於いて、最も重要視されているブランデンブルグ宮廷楽師長だったイギリス出身のViol奏者ウォルター・ロウが、Barytonの開発に加担していたことは間違いないようである。
Barytonの音楽は、ハイドンが略重要な全てであると、あちらこちらに書かれている。あるいは、最も重要なBarytonの音楽として。そのハイドンはパトロンだったニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージ侯のために175曲を残した。因みにエステルハージ侯が所有していたJ. J. スタドルマン製作のBarytonが、近代の復刻楽器のモデルとなっている。このBarytonは、7弦の擦弦と11弦の共鳴弦を持っている。もっとも過剰な共鳴弦を施されたBarytonは、44弦を持つというから、スタドルマンのBarytonは、スタンダートと言うべきか。
H. P. ラヴクラフトの「エーリッヒ・ツァンの音楽」には、奇怪なViol音楽の小品である。この小説ではViolとしか、書かれていないが、その音楽を想像するに、この Baryton こそが相応しい。
H. P. ラヴクラフト「エーリッヒ・ツァンの音楽」
http://www.asahi-net.or.jp/~YZ8H-TD/misc/ErichZannj.html
PS : BarytonのTechnical Drawingを探しています。お心当りがありましたら、お知らせ下さい。
2006年6月16日 記
写真はVictoria & Albert Museum に所蔵されているTielkeのBarytonとPeter Hutmannsbergerによる、スタッドマン以降のクラッシックBaryton
Baryton
Hamburg (made) 1686 (made)
Tielke, Joachim, born 1641 - died 1719 (maker)
Carved pine pegbox, pine top and burr maple sides and back, with gilt and stained tailpiece; carved and pierced maple board running parallel to ivory neck
Barytone after Stadlmann
Peter Hutmannsberger
http://www.violine.at/