「親は完璧じゃない」を知らなかった話

「親は完璧じゃない」

それが当たり前のように分かってきたのは、20代の後半だった。

子供の頃はよく思った。

「親が全て正しいんだ」と。

だから、苦しかった。

親が怒ることをしたい自分がいたから。

けれど、よくよく考えてみれば、それはすごく自然なことだ。

反抗期なんていう目に見えたものではなく、「親と自分は違う」と思えたら、心が楽になれることもあるのだ。

そうやって自分自身を許すこと、甘やかすことができたら肩の力が抜けていく。


私の家は典型的な機能不全家族だ。

父親はモラハラ気質で、毎晩酒に酔っては私や母や姉を罵った。

駒のように操られた私たちは、父親の機嫌が悪くしないように生きていた。

モラハラは怖いもので、最初は私たちに近かった母親もいつしか「父の機嫌が悪くなる」→「自分が怒られるからイヤ!」→「子供たちを思い通りにしよう」という思考回路に変わっていった。


遊び盛りの10代に、私や姉はオールをしたことがない。

帰宅時間が8時で怒られるのが当たり前だった。

電話に出ない、メールを見ないと玄関の前で「なにしてたの!こんな時間まで!」と怒る母がいた。

そんな光景を見るのがたまらなくイヤで、思うように遊べなかった。

子供らしくない10代だったのだ。


しかし、そんなときでも思っていたのは「親は正しいんだ」という考えだった。

だから苦しかった。

親の理想通りになれない自分しかいなかったから。


もしもあのときの私に逢えたら言ってあげたい。

「あなたの気持ちを優先していいんだよ」と。

「親も損得で動く人間だから」と。


オールができなかった10代のツケは今も感じる。

夜に外出できると異様にわくわくするのだ。

そして、帰りたくないと思ったり、「こんなに遅くなったら怒られるんじゃないかな」と思ってしまう。

もう親とは距離があるのに。もう私は大人なのに だ。

子供時代に刻まれた親の像は、大人に私にとっても変わらず親の像なのだ。



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